考古学と近代戦争遺跡 文化部次長 古賀 英毅

 「考古学の研究対象はいつまででしょう」。30年以上前、大学に入ったばかりの時に訪ねた考古学研究室で出されたクイズだ。答えは「昨日まで」だった。「弥生」とか「古墳」といったイメージを抱きがちだが、近代や現代も対象なのだと初めて知った。

 福岡市で先頃開かれた九州考古学会の総会で、冒頭の問答を思い出すプログラムが組まれていた。近代以降の遺構調査6件の報告が半日を費やして集中的に行われたのだ。

 紹介されたのは、鹿児島県瀬戸内町(奄美大島)の白糖工場跡や熊本大構内のれんが建築跡、九州大構内で出土した食器や塀の跡など。絵図や図面、写真が残っていても、発掘調査で工法が判明し、なお未解明の部分があることなどが示された。

 中でも興味深かったのは、北九州市の近代遺構の話だった。同市の近代といえば世界遺産「明治日本の産業革命遺産」を構成する「官営八幡製鉄所」が思い浮かぶ。だが、報告されたのはそれ以外の事物で、特に軍事関連遺産の話が面白かった。

 まず、旧日本軍が明治中期以降に関門海峡を挟んで造った「下関要塞(ようさい)」だ。砲台跡など下関側の遺構は観光名所の火の山公園内などにあり、気軽に見ることができる。北九州側にも7施設の跡があり、状態は良好だという。

 ところが要塞は軍事機密だったため、明治後半以降の写真や図面は残されていない。地上に構造物が残ってはいるが、詳細は調査しなければ分からない。周辺も含めた発掘で未知の遺構が確認されるかもしれない。そうした状況は近世以前の遺跡と何ら変わりはないと感じた。

 軍都だった小倉には旧陸軍の施設が多い。自衛隊が継続して使っている建物は、機密保持のため詳しく調査できないものもあるという。

 司令部が置かれた小倉城内では歩兵第14連隊弾薬庫跡が発掘され、銃弾百数十発が見つかった。文化財であると同時に武器でもあり、位置付けが難しい。結局、警察を通じ自衛隊に渡されたそうだ。

 こうした戦争関連遺跡は、激戦地だった沖縄や旧軍の拠点のあった街で調査される機会が増えてきたという。だが、人材や時間、予算の都合も絡み、「その地域で重要」と判断されない限り、古い時代の遺跡のように必ず調査されるわけではない。

 考古学は「古(いにしえ)のロマン」という言葉とともに語られることが多い。近代の戦争遺跡は、それにそぐわないかもしれないが、現在に直結する遺訓を宿す大切な存在だ。今を生きる者として注目したい。

=2019/01/15付 西日本新聞朝刊=

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