「台湾歌壇」結成から半世紀 和の心詠み継ぎ日台交流 「知日、親日より愛日です」

ユニークな選評に笑顔もこぼれる「台湾歌壇」の歌会=2月26日、台北市
ユニークな選評に笑顔もこぼれる「台湾歌壇」の歌会=2月26日、台北市
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 【台北・中川博之】日本語のすでに滅びし国に住み 短歌詠み継げる人や幾人(孤蓬万里(こほうばんり))-。日本統治時代に育った台湾人が立ち上げた「台湾歌壇」が今年、創立50年を迎えた。日本による植民地支配、太平洋戦争、国交断絶…。100年余りの間、日本と台湾の激動の歴史に翻弄(ほんろう)されながらも「和の心」を愛する台湾人によって詠み継がれてきた短歌。今では台湾人と日本人、高齢者と若者の心をつなぐ言葉の懸け橋になっている。

 戦後、中国から台湾に渡ってきた国民党政権下の1967年、医師で歌人の呉建堂さん(1926~98)=筆名・孤蓬万里=ら11人の短歌愛好者が「台北短歌研究会」を設立し、翌年「台北歌壇」に改名した。呉さんは後に「『台湾歌壇』では台湾独立のイメージがあり、『中国歌壇』では中国大陸と紛らわしい」と、台湾の複雑な政治状況に悩んだ末、「台北歌壇」にしたと明かしている。

 日本は72年、中国と国交を正常化し台湾と断交。日台の民間交流は続いたものの、日本のほとんどの新聞は、台湾から投稿される短歌を載せなくなったという。呉さんは「われわれ台湾の日本語族にとって、国交断絶以上に悲しかった」と振り返る。転機は93年。会員たちの歌をまとめた「台湾万葉集」が、文化勲章を受章した詩人の大岡信さん(今月死去)の目に留まり「実に面白いものが多い。人生が、ここでは何と生き生きと詠まれていることだろう」と称賛された。一気に注目が高まり日本で出版されると、96年に菊池寛賞を受賞した。38年間に及んだ戒厳令が解除され、民主化が進んだ2003年に「台湾歌壇」となった。
荒れ狂ふ政治の波乱にめげず聳(た)つ 「台北歌壇」とふ小さき灯火は(同)

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 11人でスタートした会員は現在約130人。日本人が約50人を占めるほか、30~40代の若い世代も増えている。毎月1回、台北市内のホテルで開く歌会では、集まった会員がお互いの歌の中から気に入った作品の選評をしている。台湾人と結婚し、台湾で約40年間暮らす事務局長の三宅教子さん(70)は「世代は違っても、台湾と日本を思う心は伝わってくる。心配事や愛、願い事が31文字の中にぎゅーっと詰まっており、心を通わせやすいのが短歌の魅力」と説明する。

 5年前に入会後、日本語の勉強を始めた弁護士の何朝棟さん(52)は「大正生まれの祖父が話していた日本語に興味があった。最初は難しかったけど、だんだん日本語の美しさが分かり、心に響くようになった。誠実で目標を立てて頑張る日本語世代は、台湾の貴重な宝。日本も台湾も、若者は古き良き心を失いつつあると思う」と語る。

 日本統治時代は日本語、国民党政府時代は中国語を学ばせられた台湾人の境遇に思いをはせる男性もいる。先住民ブヌン族のイスタダ・アリーマンさん(34)=中国名・胡忠正=は「短歌を詠むと、ブヌン語と日本語しか話せなかった祖母を思い出す。政治に翻弄された私たちの歴史を伝えていきたい」。

 台湾歌壇は23日、台北市で創立50年記念大会を開く。司馬遼太郎の著書「街道をゆく 台湾紀行」に道案内をする「老台北」として登場し、2007年から代表を務める蔡焜燦さん(90)は「知日、親日という言葉があるが、私たちは愛日。この歌壇は愛からスタートしている」と強調する。
万葉の流れこの地に留めむと 生命のかぎり短歌詠みゆかむ(同)

 剣道8段、世界剣道選手権でも3位に入るなど、日本の文化をこよなく愛した創設者の呉さん。31文字に込めた思いは、次の世代へ脈々と受け継がれている。

=2017/04/21 西日本新聞=

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