Y字路探し時間旅行 台北在住 栖来さんと路地歩き 現在と過去が交錯 ワンダーランド

栖来ひかりさんお気に入りのY字路。右側の路地は、かつて水路だった
栖来ひかりさんお気に入りのY字路。右側の路地は、かつて水路だった
写真を見る
和風の古民家が立つY字路。右側の「〓嶺街」は昔、ホタルが舞う澄んだ川だったという※〓は「牛へん」に「古」
和風の古民家が立つY字路。右側の「〓嶺街」は昔、ホタルが舞う澄んだ川だったという※〓は「牛へん」に「古」
写真を見る
「紀州庵」の歩んできた歴史に思いをはせる栖来ひかりさん
「紀州庵」の歩んできた歴史に思いをはせる栖来ひかりさん
写真を見る
栖来ひかりさんの著書「台湾、Y字路さがし。」
栖来ひかりさんの著書「台湾、Y字路さがし。」
写真を見る

 台湾の古い路地には、左右に分かれるY字路が多い。背景には百数十年の間に清、日本、中華民国と統治者が入れ替わり、人々の暮らしが急激に変わった歴史があるという。今年1月に「台湾、Y字路さがし。」を出版した台北市在住のエッセイスト栖来(すみき)ひかりさん(41)=山口市出身=と一緒に「現在と過去が交錯するワンダーランド」(栖来さん)という台北市中正区の同安街を歩いた。(台北・中川博之)

 同安街は地下鉄古亭駅から新店渓の川岸まで続く約1キロの通りだ。入り口に黒っぽい立派な廟(びょう)があった。カメラを向けると「そこは撮らない方がいい。もし何かあったら後悔しますよ」と栖来さんに止められた。

 この廟には非業の死を遂げたり、恨みを抱いたまま亡くなったりした霊が祭られているそうだ。賭け事のほか、仕返し、他人の不幸など「負」の願い事をかなえるが、お礼参りをしないとたたられるという。

 100年前はささやかだったこの廟が現在までの大きさになったのも、それほど参拝客の「願い」が成就した結果なのだ、と考えるとなんだかゾッとしなくもない。(「台湾、Y字路さがし。」より)

 通りに入るといきなりY字路が現れた。「表情がいいでしょう。右側の通りだけ側溝のふたが延々と続いているのは、下に水路があるからなんです」

 日本統治時代(1895~1945年)、田園地帯から日本人住宅地に変わった同安街一帯。当時はホタルが舞う川や水路が巡らされ、鉄道も走っていたが、戦後の開発で川や水路が覆われ、曲がりくねった道やY字路ができたという。

 台北の湿度の高い風に吹かれながら、迷路のように入り組んだ同安街の小路をあてどもなく歩いてみた。一瞬、川のせせらぎと汽笛が聞こえたような気がした。(同)

   ◇    ◇

 栖来さんは京都市立芸術大を卒業して音楽・映像制作に携わった後、台湾人男性と結婚し2006年に台北に移住。雑誌の企画取材中に見つけたY字路に心を引かれ、古地図や文献で調べた由来を本にまとめた。

 「右にいくのか、左にいくのか。」その選択が人生にちいさく、もしくは劇的にもたらすかもしれない変化を想像して少しばかりおびえているわたしを尻目に、Y字路は何食わぬ顔をして、そこにいる。(同)

 古亭駅の名の由来は「鼓亭」ともいわれる。清の時代に移住してきた漢族が見張り台を設け、先住民族の襲撃の際に太鼓を鳴らした場所だったからだ。近くには、日本統治時代に第4代総督を務めた山口県周南市出身の軍人、児玉源太郎の別荘跡もある。日本統治初期の総督には、抵抗する人々を鎮圧するため軍人が任命されていた。同安街は移住者と先住者の葛藤を物語る場所でもあった。

 初期の台湾総督の多くが薩長出身者で占められている。明治維新から始まった日本の近代化の大きな流れのなかを台湾もまた、泳いでいたのだった。(同)

 同安街の終点にあるのが、文化施設「紀州庵」だ。1917年建築の高級料亭を修復し公開している。料亭時代は近くを流れる新店渓の景色を眺め、舟遊びを楽しむ憩いの場所だったが、日本人が引き揚げた後は、中国共産党との内戦に敗れ台湾に逃れてきた国民党員の宿舎となり、4世帯が仕切りを設けてつ
つましく暮らしていたという。

 「台湾の歴史が詰まった路地は、古地図や散歩が好きなタモリさんにぴったり。ぜひ来てほしい」と栖来さん。NHKの人気番組「ブラタモリ」ならぬ「ブラヒカリ」で、つかの間の時間旅行を楽しんだ。

 「台湾、Y字路さがし。」は日本語と中国語併記。日本でもオンラインショップ=http://www.witte.bz/=(税込2160円と送料)などで購入できる。


=2017/06/19付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]