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【核心の中国 2017共産党大会】習主席 権威付け加速 下放先の村 観光名所に 陝西省・梁家河村 語られぬ「過去」も

崖をくり抜いて作った窯洞。陝西省では今も住居として使われている
崖をくり抜いて作った窯洞。陝西省では今も住居として使われている
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習近平氏が暮らした窯洞に飾られていた1973年当時の写真。左から2人目が習氏
習近平氏が暮らした窯洞に飾られていた1973年当時の写真。左から2人目が習氏
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習近平氏が暮らした窯洞。寝床は固い土でできている=9月25日、陝西省・梁家河村
習近平氏が暮らした窯洞。寝床は固い土でできている=9月25日、陝西省・梁家河村
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習氏らが整備した井戸跡でガイドの説明を受ける観光客=9月25日、陝西省・梁家河村
習氏らが整備した井戸跡でガイドの説明を受ける観光客=9月25日、陝西省・梁家河村
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 毛沢東らと並ぶ共産党の「核心」という称号を得て、権力基盤を固めた中国の習近平国家主席(64)。今秋から2期目を迎える最高指導者も若い頃、陝西省延安市の貧しい村で暮らした経験を持つ。都会の若者を農村に送り込む文化大革命時の「下放(かほう)政策」のためだ。寒村での過酷な日々は後の人生にどんな影響をもたらしたのか。9月下旬、習氏の原点とも言える村を歩いた。 (北京・川原田健雄)

 延安市中心部から東へ車で約2時間。茶色の山肌がのぞく山間部に大きな駐車場が現れた。習氏が15歳から約7年暮らした梁家河村の入り口だ。大型バスが何台も並んでいる。習氏の国家主席就任以降、村全体が観光名所になっているようだ。村の関係者によると、住民約120人の村に1日数千人が訪れるという。

 元副首相の習仲勲氏を父に持つ習氏は、党幹部が集まる北京市中心部で育った。しかし、1962年、父が反党活動の疑いを掛けられて失脚すると生活は一変。66年に始まった文化大革命では「反革命分子の子」として白い目を向けられた。習氏が梁家河村を訪れたのは69年。都会の青年を地方へ送り、労働教育を受けさせる下放政策の一環だった。

 村では習氏が過ごした3カ所の住居が公開されていた。いずれも崖を掘って作った横穴式住居「窯洞」だ。全て補修されているが、裸電球が下がった部屋は暗くて狭い。当時の習氏らが従事したのは土木作業などの肉体労働。土を固めた寝床は布団を敷いても疲れが取れるとは思えない。習氏が最初に住んだ窯洞は6人が同じ寝床に付いたとされる。若き習氏にとってつらい日々だったことは想像に難くない。

   ◇   ◇

 「習主席? 会ったことあるよ。やる気のある青年だったね」。村に住む80代の男性は目を細めた。ただ、それ以上尋ねても「覚えていない」と繰り返した。清掃作業をしていた高齢女性も「姿を見たことはあるけど」と言葉少なだった。

 習氏の過去について口が重い村民を見て、ある事情が頭をよぎった。69年1月に村に来た習氏は、実はその3カ月後に1人で北京に逃げ帰っている。厳しい暮らしに耐えきれなかったからだ。「一番我慢できなかったのはノミだ。皮膚が敏感な私はかゆくて痛くてたまらなかった」「周囲からは冷たい目を向けられ、15歳の私は孤独を感じた」。習氏は後に国内メディアなどに当時の心境を明かしている。村内には、この事実を記した説明板は一つもなかった。

 北京に戻った習氏を待っていたのは楽な生活ではなかった。住民票が北京にないこともあり、工事現場で働く日々が続いたとされる。親族に説得された習氏は結局、数カ月後に再び梁家河村に戻った。

    ◇    ◇

 「人柄が良くて勉強熱心。手のまめがつぶれて血が出ても仕事をやめなかった」。習氏の隣家に住んでいたという男性(65)が教えてくれた。村に戻った習氏はまず延安地方の方言を習得。心を入れ替えたように村民に交じって耕作や土木作業に汗を流したという。

 真面目な働きぶりが信頼を集め、20歳で村の党支部書記に選ばれた。75年に北京の名門、清華大学への推薦入学が認められ、7年近くに及んだ農村生活に終止符を打つことになる。

 「私にとって二つの大きな収穫があった。一つは何が事実か、大衆とは何かを学んだことだ。もう一つは自分を信じる心を持てたことだ」。習氏は当時を振り返ってこう語っている。

 習氏の働きぶりは今夏、共産党の幹部養成機関が出版した「習近平、知識青年としての7年」でも取り上げられている。本は村民ら29人への取材を基に、労苦を惜しまず村の発展に尽くした姿を紹介している。

 ただ、村に住む60代男性によると、本の記述は自分の記憶とは少し異なるという。「率先して仕事をするというより、指示された仕事をみんなと一緒にこなしていた。国家主席になるなんて思いもしなかった」と打ち明けた。

 もっとも、梁家河村は習指導部がスタートした2012年以降、観光客が急増。伝統的なトウモロコシ栽培だけでなくリンゴなどにも手を広げ、村民の平均年収は11年の約6500元(約10万円)から、16年は1万7987元(約29万円)へ3倍近くに伸びた。習氏が村にもたらした恩恵を考えると、過去の脚色や美化は、多くの村民にとっては許容範囲なのかもしれない。

    ◇    ◇

 中国では18日に開幕する第19回共産党大会を前に、習氏に関連する書籍の出版が相次いでいる。8月以降に発行された習氏関連本はメディアが伝えただけで10冊近い。党大会では、習氏の指導理論・思想を党規約に盛り込むことが事実上確定した。こうした習氏の権威付けを図る動きに、党内では毛沢東時代と同じような個人崇拝につながらないか懸念がくすぶる。

 文化大革命では、毛沢東を個人崇拝する青年組織などによる政治弾圧で、多くの犠牲者が出た。

 梁家河村を訪れる人は党・政府関係の団体客だけでなく、一般客も少なくない。習氏らが整備した井戸や住居跡で熱心にメモを取る姿を見ると、習氏の存在が少しずつ毛沢東に近づいているようにも見える。

 梁家河村から数キロ離れた別の農村で、習氏が住んでいたのと同じような窯洞を見つけた。中から出てきたのは80歳すぎの白髪の女性。息子は出稼ぎで故郷を離れ、今は1人暮らし。収入は年金が頼りだという。

 「習主席は好きだよ。今は食べる物も、着る物もある。毛主席の時代はなかったんだから」。女性は日焼けした顔をほころばせた。テレビもない室内の土壁には、笑顔で手を振る習氏のポスターが貼られていた。

    ■    ■

 習氏の「1強体制」が強まる中国だが、足元を見れば社会や経済に多くの課題が山積。「核心の中国」の今を、随時検証する。

 ●失脚幹部の業績 打ち消す動き

 習近平国家主席の権威付けが進められる一方、失脚した元共産党幹部の業績が打ち消される動きも目立つ。

 遼寧省大連市では今夏、20年近く続く恒例行事「国際ビール祭り」が中止された。会場となる星海広場の工事が理由だったが、工事で使えないのは広場の一部のみ。市民の間では「かつて党の市トップだった薄熙来氏が関係しているのでは」とのうわさが広まった。

 薄氏は1990年代から2000年代初めにかけて、大連市トップや遼寧省幹部を務めた党幹部。重慶市トップだった12年に失脚したが、海外投資を呼び込んで経済発展を実現した手腕は庶民の人気を集め、最高指導部候補とも目された。

 失脚から4年後の16年、薄氏が建てた星海広場の高さ約20メートルの石柱「華表」が突然撤去された。ビール祭りも薄氏が地元幹部だった頃に始まったといい、市内の男性は「党大会を前に市民が薄氏のことを思い出さないよう当局が中止させたのだろう」と推測する。

 「ポスト習」の有力候補とされながら7月に失脚した孫政才氏がトップを務めた重慶市でも、孫氏が提唱した政策スローガンの看板が撤去されるなど、業績を打ち消す動きが相次いだ。

 「反腐敗」を掲げる習指導部の発足以降、摘発された党幹部には習氏の政敵も数多く含まれる。「元幹部の名前を言葉にすることさえ怖い」。大連市民の一人は1強体制の息苦しさを口にした。


=2017/10/09付 西日本新聞朝刊=

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