亡命チベット社会 先細り 動乱60年 インド・ダラムサラルポ 中国国内 封じ込め強まる

チベット動乱が起きた3月10日を記念して毎年開かれる決起大会で、ダライ・ラマ14世が書いた「真実の言葉」を唱える参加者たち=10日、インド・ダラムサラ
チベット動乱が起きた3月10日を記念して毎年開かれる決起大会で、ダライ・ラマ14世が書いた「真実の言葉」を唱える参加者たち=10日、インド・ダラムサラ
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チベット亡命政府があるインド北部のダラムサラ。山の斜面に張り付くように建物が並ぶ=9日、インド・ダラムサラ
チベット亡命政府があるインド北部のダラムサラ。山の斜面に張り付くように建物が並ぶ=9日、インド・ダラムサラ
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巡礼道の一角に飾られた焼身自殺者の遺影。クンガさんは「チベットに残っていれば自分も同じ行為をしたかもしれない」と語る=11日、インド・ダラムサラ
巡礼道の一角に飾られた焼身自殺者の遺影。クンガさんは「チベットに残っていれば自分も同じ行為をしたかもしれない」と語る=11日、インド・ダラムサラ
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「チベット子ども村」の寮で食事する子どもたち。チベットから亡命して入学する子どもは過去5年で1人もいないという=11日、インド・ダラムサラ
「チベット子ども村」の寮で食事する子どもたち。チベットから亡命して入学する子どもは過去5年で1人もいないという=11日、インド・ダラムサラ
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 ●難民2世 豊かさ求め流出

 チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(83)がインドに亡命する契機となった1959年の「チベット動乱」から今月で60年を迎えた。ダライ・ラマを慕い、安住の地を求めて中国からインドへ逃れたチベットの人々は故郷に帰る日を心待ちにするが、先行きは見えない。中国政府の締め付けが強まる中、新たな亡命者は減り、第三国へ移住する若者が続出するなど、亡命チベット社会は先細り感が強まっている。
 (ダラムサラ本紙取材班)

 山の斜面に張り付くように建物が広がる。宿泊施設や露店が並ぶ坂道には法衣姿のチベット僧が行き交う。インド北部のダラムサラはダライ・ラマが住む亡命政府の拠点だ。

 「ここではダライ・ラマ法王の写真を飾っても捕まらない。不安がないよ」。中心街の露店でアクセサリーを売るカンチェン・ドルマさん(53)は顔をほころばせた。中国政府はダライ・ラマを中国からの独立を目指す「分裂主義者」と敵視。中国国内では公の場だけでなく、自宅でもダライ・ラマの写真を飾ることは許されない。中国チベット自治区カム出身のドルマさんは幼い頃から、信仰心が厚い両親や親戚が警察官に殴られたり、引きずられたりする姿を見て育った。

 「法王の下で暮らしたい」。意を決して故郷を離れたのは2005年。夫と3人の子供とともに歩いてインドを目指した。中国の国境警備隊に見つからないよう移動は夜だけ。日中は崖下や木陰で息を潜めた。乾燥肉などわずかな食料を分け合い、雪を溶かしてのどを潤しながら約2カ月かけてヒマラヤ山脈を越えた。

 ダラムサラではアクセサリーや手工芸品を売って生計を立てる。食べていくのがやっとだが、子供は世界中からの寄付で運営される学校「チベット子ども村」で寄宿生活を送る。チベット人として成長できる環境に満足している。

 心残りはチベットに残してきた長男だ。当時、長男は小学校に入学直後。姿を消せば、当局にインド亡命を気付かれる恐れがあり「親戚に預けるしかなかった」。長男ももう成人。会いたさは募る。だが「戻ったら何をされるか分からない」と表情を曇らせた。

 ダライ・ラマの居宅を囲む巡礼道の一角に、100枚を超える顔写真が並んでいた。中国当局の弾圧に抗議して焼身自殺したチベット人の遺影だ。多くが10、20代の若者。全身が炎に包まれた写真もある。

 中国当局の統制でデモが困難になる中、中国国内のチベット人居住区では究極の抗議方法として焼身自殺が拡大。亡命政府によると09年以降、150人超が自身に火を放った。

 「チベットの実態を世界に訴える最後の手段だ」。92年にインドに亡命した僧侶トクメさん(50)は語る。中国の寺院ではチベット仏教を学ぶ代わりに、共産党の功績を暗記するよう強制された。「毛沢東の写真の裏に法王の写真を貼って拝んだ」と明かす。

 僧侶のクンガさん(42)はチベット自治区の寺院にいた98年当時、僧を装って寺に紛れ込んだ当局者を見たという。「法衣の下に銃を隠し持っていた。誰がスパイか分からず疑心暗鬼が広がった」

 近年は焼身自殺も減少傾向にある。「当局者が若い僧に金を渡し、自殺しないよう懐柔している」とクンガさんは話す。亡命政府関係者によると、チベット人居住区には監視カメラが増設され、小規模集落でも公安当局者が毎日、一軒一軒巡回して監視を強めているという。「中国は自殺さえも封じ込めようとしている」

 亡命チベット社会の大きな課題は人口の減少だ。インドには約10万人のチベット難民が居住しているとされ、うち約1万5千人がダラムサラに暮らす。中国から逃げてくる難民は07年まで年2千人を超えたが、チベット各地で大規模な暴動が起きた08年以降、中国が国境警備を強化。近年は年数十人にとどまる。

 もともと中国とインドの国境地帯は両軍の監視が厳しく、難民の多くはネパールを経由してきた。しかし、18年に親中国の政権が発足したネパールが中国の求めに応じて国境管理を厳格化。亡命ルートが狭まったことも背景にある。

 ダラムサラにある「チベット子ども村」では、チベットから亡命して入学する生徒がかつては年800人に上ったが、ここ5年間は1人もいないという。80年代に約3300人いた生徒は約1700人とほぼ半減。トゥプテン・ドルジェ校長は「いつまで学校を存続できるか」と懸念する。インド国内には生徒減少で閉校した分校もあるという。

 危機感に拍車を掛けるのが若者の流出だ。インドの17年の1人当たり国民総所得は1800ドル(約20万円)で米国の30分の1にも満たない。豊かさを求めて欧米への再亡命を希望する若者は後を絶たない。難民2世のテンジン・チェヤンさん(14)は「将来は海外に住みたい。できれば米国で獣医師になりたい」と憧れる。

 99年からダラムサラで日本料理店を営む山崎直子さん(55)によると、経済発展を遂げた中国で働きたいと、中国当局の許可を得て自治区に戻る難民2世が少なくないという。山崎さんの店にも中国に帰国許可を申請した若い女性従業員が2人いる。

 山崎さんは「中国でどんな生活が待っているか不安は大きい。それでも厳しいカースト制度が残り、自由に仕事を選べないインドよりましだと思っているようだ。チベットの若者にとって、ここは一時的な居場所でしかない」と指摘した。

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 【ワードBOX】チベット動乱

 1959年のダライ・ラマ14世のインド亡命につながる大規模な騒乱。51年の中国軍のラサ進駐後、中国政府の統治に反発する武装蜂起がチベット各地で続発した。59年3月10日、中国軍がダライ・ラマを観劇に招待したことを拉致の口実だと疑った民衆数万人が集結し、軍と衝突。ダライ・ラマは同月17日にラサを脱出し、インドへ逃れた。中国政府は同月28日にチベットの統治権確立を宣言した。チベット亡命政府は3月10日を民族蜂起記念日と定めている。

=2019/03/18付 西日本新聞朝刊=

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