【若鷹、あの夏】2013年仙台育英・上林 何もできなくて…夏

プロ4年目で飛躍したソフトバンクの上林
プロ4年目で飛躍したソフトバンクの上林
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 (2013年1回戦 仙台育英11-10浦和学院)

 今年7月。敵地で楽天と激しい首位争いを演じる合間、ソフトバンクの上林は母校・仙台育英に差し入れをした。多少、箔(はく)はつけたいものだ。150個のクリーム大福。すると「結構、高かった」し、7キロほどになった。

 「監督の好物らしいです。仙台にいる記者の方が、佐々木(順一朗)監督と仲良くて。差し入れにいいんじゃないの、って教えてくれた」。ほおばった後輩たちは準決勝の延長15回引き分け再試合を経て、宮城大会を突破する。上林自身の「最後の夏」の記憶。そこに甘味は少ない。

 主将として臨んだ抽選会で初戦の相手に引き当てたのは、自身の地元埼玉の強豪。春夏連覇を狙う浦和学院だった。1点先制された直後の初回。選抜V左腕の2年生・小島和哉(現早大)から、仙台育英はいきなり6点を奪う。もっとも、4番上林は蚊帳の外にいた。無死満塁。チェンジアップで空振り三振に倒れた。

 宮城大会では打率4割3分5厘、2本塁打、7打点の好成績。実感は伴っていなかった。夏場にがくんと体重を落とし「体が言うことを聞かなかった」という。「打ったのは準決勝、決勝だけ。気持ちで。基本的に調子は良くなかった」

 初回打者一巡のおかげで2回も打席が回る。無死一塁。セーフティーバントの構えをした。試みること自体は珍しくない。ただ積極的な動機からではなかった。「打てる気、しなかったですね」。結局ここも空振り三振。試合中、チームメートに「俺、もう今日、打てんから」と宣言した。

 佐々木監督から「キャプテン、4番はチームに心配をかけちゃいけない」と諭されていた。「打てなくて心配されたり、暗い表情をしたりしちゃいけない、と」。不調に目を背けず、なりふり構わず泥くさくいく。不言実行では周囲が意図をくみづらい。覚悟は言葉で伝えておくべきだと考えた。

 3回に一挙8点を奪われ6-9。4回に1点を追加されたが、6回に10-10と追いつく。上林の音無しは、なお続いていた。8回無死満塁の第5打席。「さすがに打てるだろ」。肩の力を抜いたつもりだったが初球、ど真ん中をファウルにした。「ああなったらもう打てないです」。空振り三振。ドミノ倒しで後続も三振、三振だった。

 第1試合から大量得点が続いた後の第4試合が、ノーガードの打ち合い。4万2000人をのみ込んだ甲子園に照明がともった。「ナイターになって異様な雰囲気でした」。9回にサヨナラ勝ち。上林はしめて5タコ3三振だった。歓喜の輪に加われず、少し離れて見守っている自分がいた。「何でしょうね。恥ずかしいというか。注目してもらってたし、スカウトも来てたし、大丈夫かな…って。自分ではあの試合で結構、評価を下げたと思います」

 2回戦の上林は4打数で単打1本と大きな見せ場なく、チームは常総学院(茨城)に1-4で敗れる。2年夏に11打数5安打。3年春は「イチローばり」と称された、ワンバウンド打ちの二塁打など9打数3安打。飛躍の舞台だった甲子園で、最後にもがいた。

 秋のドラフトでソフトバンクに4位指名を受けた。「予選で終わってたら、上位指名だったかもしれない」。マイナスの意味ではない。分厚い層のレギュラーに割って入り、今年、プロ4年目で初めてオールスター戦に出場。初の2桁本塁打もマークした。「良かったんです。あの時、活躍していたら、他のチームだったかもしれない。ホークスで良かったなと思います」

 その夏の、テレビ朝日系「熱闘甲子園」キャスターを務めていたのが、翌年秋に就任するソフトバンクの工藤公康監督だった。「常総に負けた日に取材されました。その時が初めてですね」。工藤監督に話したら、どうもその日のことはうろ覚えのようだった。「後から言ったら『もっと早く言えよ』って言われました(笑)」。苦い夏には違いない。だが、その後の野球人生の足掛かりとなり、不思議な縁も隠れていた、味わい深い夏でもあった。

=2017/08/12 西日本スポーツ=

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