【西スポ・甲子園ベンチ裏】博多っ子から島人へ 興南・春間3年前の決断 2年半積み上げた練習、ポテンヒットで足跡

8回、はつらつとした守備を見せる興南・春間(左)
8回、はつらつとした守備を見せる興南・春間(左)
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 初球、外角のスライダーに食らいついたがバットの先だった。智弁和歌山との1回戦。2点を追う8回1死、途中出場していた興南(沖縄)・春間悠輝(3年)の打球が左翼へ上がる。「落ちるとは思わなかった」がポテンヒットになった。「一塁を回ったときスタンドからワッと歓声が聞こえて、それで気付きました」。福岡から沖縄に渡って最後の夏。一時6点リードから逆転負けした中、唯一の打席で足跡を残した。

 「当たりがどうこうじゃなくて、高校野球で2年半、取り組んできたことができたと思います。内野ゴロでも全力疾走、平凡なフライでも二塁を狙う。僕らはパワーで長打を連発できるようなチームじゃない。泥くさく、一つずつ。みんなで練習から言ってきました」

 福岡・友泉中時代、野球部の顧問教諭が、興南の我喜屋優監督に傾倒していたという。「我喜屋監督の本を勧めてくれたんです。それを読んでいくうちに…」。同監督の著書「非常識」をめくると、徐々に感化された。「野球以外のことにも真剣に取り組むことで、それが野球にも出てくる…というところとか、共感する部分があったんです」

 興南で野球を続けようと、つてのない沖縄へ飛び込んだ。「言葉、食べ物、気候。最初はたくさん戸惑いました。まずゴーヤーチャンプルー…今では平気ですけど。三枚肉が乗った沖縄そばのにおいにも、なかなかなじめなかった」。幸い、チームメートに恵まれた。最初の夏、甲子園のアルプス席で先輩を応援したことも「自分もここに立ってみたい」と励みになった。

 黒土を踏めないままでいた今春。選抜大会では、福岡大大濠のエース三浦銀二、東海大福岡のセンター有安晟真と、中3時に軟式の福岡選抜で顔を合わせた同学年の仲間が躍動していた。「すごいな」と思いつつ「何でかな。わざわざ沖縄まで来て、自分は何やってんだろ」とじれていた。

 我喜屋監督に課題の守備力アップを命じられ、夏まで外野ノック1日100本と、自主練習を重ねた。「チームで一番、取り組んだ自信はありました」。沖縄大会は背番号7ながら控え。自身初の甲子園には背番号17で臨むことになった。敗戦も含め、悔しさはあるが「外から見るのと大違いで、雰囲気とかも、言葉に表せないぐらいすごかった。目指してきた意味が分かった」と感慨もあった。

 大学でも野球を続けるつもりだ。「これから先も、最初は慣れなかったり、初めて経験することがあると思う。知らないことに驚いたり、ビックリしたことが、生きるんじゃないかなって。将来、社会に出ても、チャレンジをしていこうと思います」。今では、博多ラーメンと沖縄そばが「競っている」ぐらい好きになったから、頑張り次第で何とかなると思っている。

=2017/08/13 西日本スポーツ=

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