はばたく優勝請負人 工藤監督、黄金時代へ

西日本新聞

 就任1年目で一気に頂点に立った。独走でレギュラーシーズンを制し、日本シリーズでもわずか1敗。「感無量です。選手が絶対に負けないという気持ちを出してくれた。幸せです」。プロ野球福岡ソフトバンクホークスの工藤公康監督が神宮の夜空に向かって9度舞った。圧倒的な強さで球団初の2年連続日本一に導いた。

 「昔は2戦目が重要という人も多かったが、今は先手必勝」。今季チーム最多の13勝を挙げた武田翔太投手で初戦を取り、本拠地での連勝スタートで主導権を握った。

 日本シリーズは、ソフトバンク王貞治球団会長と並ぶ歴代1位の14度出場を誇る。「人間は、怒りが一番エネルギーを生む」と口にしてはばからない。西武入団6年目の1987年。当時のエースを初戦で攻略した巨人の選手が「たいしたことはない」と発した言葉に奮い立った。「ふざけんな、と思って2戦目で完封してやったよ」。最高殊勲選手に輝き、逆転日本一に貢献した。普段の言動から大胆不敵に見られることもあるが、監督として繊細に頂上決戦を戦い抜いた。

 シリーズ開幕直前にはクライマックスシリーズで3試合連続適時打を放った4番内川聖一選手の骨折が判明。就任以来、選手の体調管理には細心の注意を払ってきただけにショックは大きかった。「選手は絶対に『大丈夫です』と言う。それに気づいてあげるのが俺の仕事なのに」。工藤監督にとって痛恨のアクシデントとなった。それでも「一番つらいのは内川なんだから」と、動揺を隠して采配に集中した。レギュラーシーズンで1番での打率が2割2分台の福田秀平選手を、2戦目から3試合連続でトップに起用し成功。「(初戦の)代打で変化球をうまく打った」と、シーズンと同様に過去の実績にとらわれず、己の「目」を信じてタクトを振った。

 ちょうど1年前。就任会見で連続日本一への決意を口にした翌日、佐賀県唐津市に向かった。福岡ダイエー時代のチームメートで、2000年に肺がんのため他界した藤井将雄さん(享年31)が眠る墓前で手を合わせた。「熱い気持ちを持った投手だった。ホークスを『強くしたい』と思い続けた選手だった」。連続日本一で約束を果たした工藤監督だが、足を止めるつもりはない。9年連続(65~73年)の巨人を超える「V10」へ、強い心で黄金時代を築いていく。

=2015/10/30付 西日本新聞朝刊=

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