船橋魂、永遠に 「オート発祥の地」

西日本スポーツ

 ■3月21日閉場式
 
 「数え切れない感動をありがとう」-。オート発祥の地、船橋オートが3月末、65年の歴史に幕を閉じた。最後の開催となった特別G1プレミアムカップ(17~21日)は、1万人を超すファンが見守る中、選手会船橋支部長の永井大介が優勝。青山周平、中村雅人が2、3着と船橋勢が上位を独占する最高の結果で終わった。そこからはや1カ月近くが過ぎた。船橋所属67人は4月から他場に移籍して奮闘しているが、ファンの喪失感は増すばかり。改めて船橋オートの歴史、名勝負を振り返り、記憶にとどめておきたい。

 ■「僕は幸せ者」

 船橋オートの閉場式は3月21日に、多くのファンが見守る中で行われた。

 「みんなと別れたくない。まだ走りたい、ここで…。最後に大勢のファンの前で優勝できて、僕は本当に幸せ者」。大歓声で迎えられ、閉場式のステージに立った永井大介は、そう言うと天を仰ぎ、あふれそうになる涙を必死でこらえた。

 「全国のファンから13万を超える存続署名をいただいた」にもかかわらず、「家族みたいに温かい場所」だった船橋オートを守ることはできなかった。選手会支部長として、「力及ばず申し訳ございません」と、謝罪するしかなかった。

 それでもファンは温かかった。廃止を決めた施行者には「帰れーっ」と罵声を浴びせ続けたが、永井には盛大な“永井コール”でもり立てた。

 最後も「船橋の精神、魂をもってオートレース道をまい進していきますので、今度とも変わらぬ声援を」と、永井が船橋への熱い思いを口にすると、ひときわ大きな歓声が上がった。

 スタンドには「ずっと忘れない船橋オート魂」、「名勝負をありがとう」などのメッセージ。永井が「日本一」とたたえる船橋のファンに愛され、そして惜しまれつつ“オート発祥の地”はその幕を閉じた。

 ◆オートレース 公営競技の一つで、船橋のほか伊勢崎(群馬県)川口(埼玉県)浜松(静岡県)山陽(山口県)飯塚(福岡県)で開催。1周500メートルのコースを8台の専用バイクに乗り、6~10周して争う。平均時速は100キロ以上。2011年には44年ぶりに女子レーサーが復活し、現在は元SMAPの森且行(川口)や、全日本モトクロス選手権元女王の益春菜(川口)ら、約400人(女子6人)の選手が各レース場に所属している。

 ◆四輪車レース 船橋オートは開場から1年3カ月後の1952年1月、四輪車レース(3月には川口でも採用)を始めた。1日2個レース(8車立て)が二輪車レースに組み込まれ、二輪車以上の迫力で瞬く間に人気を博した。ただ、走路舗装化と競走車の性能アップに伴い、四輪車の競走タイムが二輪車をはるかに超える事態に。このため、四輪車レースを1周500メートルのコースで行うのは、安全性、操縦性に問題があるとされ、廃止が決定。73年5月に20年以上親しまれた四輪車レースが姿を消した。

 ■船橋競馬場内ダートコースで誕生 52年には四輪レースも

 船橋オートは、1950年10月29日に開場。船橋競馬場内の内馬場に1周800メートルのダートコースを設置して、全国初のオートレースを行った。11月の第2回大会からは、レースをより面白くするため、ハンディレースを採用。52年1月には四輪レースも始めた(73年5月に廃止)。68年1月の走路舗装化に伴って、現在の場所に移転。

 船橋は、オート史に残る多くの名選手を輩出。ミスターオートと称され、史上最多のSG日本選手権6V、G128Vの記録を持つ飯塚将光をはじめ、鉄人・島田信広、天才・片平巧など挙げればキリがない。彼らの華麗な走りが、全国のオートファンを魅了した。

 ただバブル崩壊以降は、客足が全国的に低迷。船橋の車券売上額も、90年度の739億円をピークに減少に転じた。2006年度からは、運営を民間に委託して経営改善を図ったが、売り上げ減少の流れは止められず、14年度は88億円にまで落ち込んでいた。

 14年8月に「事業実施に必要な経費を売り上げでまかなうことが困難」などとして、千葉県と船橋市の両施行者が廃止を正式発表。選手会は、全国のファンから13万を超える署名を集め、廃止反対の活動を続けたが、決定が覆ることはなかった。ちなみに15年度の売上額は93億円。4年ぶりに前年度を上回り、回復の兆しが見えた中での廃止だった。

 ■68年・日本選手権で名勝負 飯塚史上初の連覇

 船橋バンクは、記憶に残る名勝負も数多く生み出した。1968年10月のSG第10回日本選手権もその一つ。優勝戦(10日)には、船橋レコードの3万5856人が入場。ただ実際には5万人ものファンが詰め掛けていたようで、スタンドは立すいの余地もなかった。

 優出選手は、(1)板橋忍(船)(2)西島隆明(山)(3)秋田敬吾(山)(4)吉田光(飯)(5)飯塚将光(船)(6)中野光正(山)(7)且元滋紀(川)(8)桝崎正(飯)。海外から仕入れてきた「ハイカム」を、秋田や吉田ら西日本勢が使用。Sが勝敗を左右するゼロオープンの選手権だけにS後に伸びるという、この部品の威力は絶大だった。西日本勢が序盤から戦線をけん引。秋田は無傷の4連勝での優出。

 優勝戦も当然、西日本勢がSで飛び出す、とみられていた。が、本番は地元勢が突き抜けた。トップSは板橋で飯塚が2番手。飯塚は2周3角で先頭に立つと、執拗(しつよう)に追い立てる板橋を巧みな走りで抜かせずゴール。当時としては、史上初めての日本選手権2連覇を果たした。秋田は3着だった。

 ◆船橋競馬場内に場外車券売り場 船橋オート近くの船橋競馬場駐車場内に、オートレースの場外車券売り場「オートレース船橋」が8日、オープンした。競輪の専用場外車券売り場「サテライト船橋」との複合施設として新たに建設された。鉄筋コンクリート造り1階建てで、延べ床面積は約1867平方メートル。投票機器を含めた全ての施設、設備は競輪との共用。一般席216席、有料席44席、屋外観覧席72席。発売窓口は32窓(自動機30窓、有人窓口2窓)。管理施行者は伊勢崎市で、全国のレースを年間340日程度発売する予定。

=2016/04/20付 西日本スポーツ=

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2020/4/1 2:00 更新

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