ソフトB達川ヘッド、26年前「コーチ室怒鳴り込み」から大ピンチ 救ったのは…馬

西日本スポーツ

【達川ヘッドの今昔物語】

 今季からスタートした達川光男ヘッドコーチ(61)のコラム「今昔物語」-。独特の話術で球界の今と昔を紡ぐ語り部が、今回も痛快に論じます。第3回は、広島で現役だった26年前の梅雨時期に迎えた「人生最大のピンチ」。この局面を救ったのは、必死な動物の姿でした。そして「鬼軍曹」として知られた当時のヘッドコーチの気づかい、さらに亡き妻から掛けられた愛にあふれる言葉とは-。

 ■ドラ1が起用され…

 西スポ読者の皆さま、どうも達川です。早いもので、このコラムも3回目じゃの。チームも交流戦に突入したんじゃけど、2カード連続勝ち越しと5月に続いていい戦いができとると思うよ。先週末は横浜スタジアムでの試合だったんじゃけど、宿舎に向かうバスから大井競馬場が見えたんよ。それで、ふと昔のことを思い出しての。今回は、その話をさせてもらうかの。

 あれはもう26年前か…。1991年のことよ。ワシも長年、正捕手を務めて、もうベテランと呼ばれる立場じゃったけど、その年にドラ1で瀬戸(輝信)いうのが、入ってきてな。で、今と同じ時期じゃった。ワシが突然スタメンを外されて、瀬戸が起用されて大敗したんよ。ワシは調子も悪くないし、どこも痛くない。10年近く正捕手を務めてきて、意地もプライドもあったからの。コーチ室まで「どうしてですかっ!」と言いに行ったんよ。そしたら、首脳陣総出で怒られたよ。「おまえが決めることじゃないっ!」。一蹴よ。

 そのまま1週間くらいすぎたころかの。週末に横浜スタジアムで3連戦があったんよ。日曜日の試合が終わって、都内の宿舎に移動したときよ。大井競馬場のナイターレースの照明が遠くに見えてな。何に導かれたか知らんけど、試合のなかった月曜日に若いスタッフを連れて行ったんじゃ。本来競馬はせんけえ、馬券も買わずスタートゲートの近くまで行ってずーっと見とったんよ。

 ワシらで言うと「これから試合が始まる」というところよ。馬にも「これからレース」という思いがあるんかの。ものすごい緊迫感と迫力があってな。でも、いざ「バーンッ」とゲートが開いたら、2頭くらい出らん馬がおったんよ。そしたら騎手にムチを「バチバチーッ」って、これでもかという勢いで入れられたんよ。「ああ、ワシみたいに言うこと聞かん馬がおるなあ。馬も厳しくやられとるなあ」と思うたんを覚えとるよ。

 で、せっかく来たんやから「最後に1レースだけ馬券を買おう」言うての。今度はゴールの瞬間を近くまで見にいったんよ。そしたら、どの馬も歯をくいしばって、懸命にゴールに向かってくるんよ。それを見てな、一度スタートしたら、どんなに駄目でも、どんだけムチを入れられても、ゴールまで駆け抜けないけん思うての。ワシも野球界に入ったからには、懸命に駆け抜けようと思わされたんじゃ。翌日からは余計なことを考えずに、とにかく文句を言わず、いつ試合に出ろと言われてもいいよう必死に練習したよ。

 ■夜中に起きてギクッ

 それでも、2日たっても3日たっても(スタメンの)声がかからん。で、すぐ巨人との試合(円山球場)で札幌遠征があってな。そこで、今は亡き松田耕平前オーナー主催の食事会があったんよ。ジンギスカンやったな。次の日はデーゲームじゃったんじゃけど。「試合も出らんし、いいか」と2次会まで行って、夜12時くらいまで飲んで宿舎に戻って寝たんよ。そしたら、酒も入ってたから夜中にトイレに行きたくなっての。ベッドから起き上がろうと思った瞬間、「ギクッ!」って……。ぎっくり腰よ。悪い時には悪いことが重なるもんよ。いま思えば、気持ちを入れ替えてから気合を入れ過ぎて練習をやりすぎてたんよ。床にはいつくばってトイレまで行ったよ。

 翌日起きても「こりゃダメじゃ……」よ。まあでも試合にも出ないしいいか思うて、円山球場にいったんじゃけど。勘のいい読者の方やと、もう分かったかもしれん…。当時の大下(剛史)ヘッドコーチが「1番正田、2番前田、3番野村…」とスタメンを読み上げて。「おい、8番」。ワシの方を見て「ワレじゃ(おまえだ)」て。心の中で「エーーーッ! よりによって何で今日なん…」よ。

 痛み止めと座薬で何とかしようとしたんじゃけど、痛みはひかん。フリー打撃も「今日は打撃はいいです」とか何とかごまかしての。その日先発じゃった川口(和久)だけには「ワシ、二塁まで投げられんけえ、頼むぞ」と説明しての。あいつもおもしろいやつで「先輩、大丈夫ですかぁ」と笑うんよ。でも実際に投球練習後にワシの送球を見て「先輩、本当に痛いんですね…」て。ただ、あいつが頼もしくての。投球だけじゃなく、盗塁されんように、けん制も完璧にやってくれての。結局、ワシは捕るだけで勝ったよ。次の日もスタメンで腰は痛かったけど勝ち。結局、その年は120試合に出て優勝もしたから、本当に印象に残るシーズンよ。

 ■今考えれば若かった

 で、何が言いたいか言うと。前回からことわざを一つ二つ紹介しよるけど、今回は「辛抱する木に金がなる」「神は越えられぬ試練を与えない」ということよ。まあワシも自分で試練を越えたように偉そうに言いよるけど、周りの支えがあってこそよ。「鬼軍曹」として知られ、球場では厳しかった大下ヘッドは、ワシがスタメンを外れた初日に今は亡きワシの女房に電話してくれとったらしいんよ。「球場にだけは絶対に来るように言うといてくれ」と。ワシがふてくされるのが分かっとったんじゃろな。家に帰ったら、女房にしかられたよ。広島弁で「何、はぶてってんの!(すねてるの)」てな。「あんたじゃなれんとは思うけど、あんたもいつか指導者になるかもしれんのやけ。人を使う立場の気持ちも考えんさい!」言われての。

 当時はベテランじゃったけど、今考えればまだ若かったんよ。ようやくこの歳になって、あの時のことが理解できるようになったよ。野球界に限らず、読者の方も、仕事や生活で、つらかったり納得いかなかったりすることは、たくさんあると思うんよ。でも神様は越えられない試練は与えないし、周りに支えてくれている人も必ずおる。必死に走る馬じゃないけど、辛抱して、毎日を大切にやっていけば必ずいい方向にいくと思うんよ。最後はいつになくいいこと言うたし、3回でキリもいいし今回を最終回にしようかの。読者の方からの「アンコール」があったら考えんこともないけど。なかったら、本当に最終回じゃけえのお。 (福岡ソフトバンクヘッドコーチ)

 ◆達川光男(たつかわ・みつお)1955年7月13日生まれ。広島市出身。広島商高、東洋大からドラフト4位で78年に広島入団。攻撃的なリードと打者に話し掛ける「ささやき戦術」で正捕手として活躍した。現役通算成績は1334試合出場で打率2割4分6厘、51本塁打、358打点。ベストナイン、ゴールデングラブ賞を各3度受賞。92年に引退後は、95年にダイエーでバッテリーコーチ。98年に2軍監督で広島復帰し、99、2000年監督。03年は阪神、14、15年は中日でコーチを務めた。野球解説者でも活躍。右投げ右打ち。

=2017/06/06付 西日本スポーツ=

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