オートレース33期飯塚・山陽勢今夏デビュー

西日本スポーツ

 オートレース選手養成所(茨城県下妻市)を3日に卒業した第33期生20人が、各レース場で次々とデビューを果たす。すでに伊勢崎、浜松勢は8日に初出走を済ませた。10人がデビューする飯塚と山陽勢は、33期の最優秀賞に輝いた中村杏亮(21)=飯塚=をはじめ、飯塚初の女子レーサーとなる稲原瑞穂(21)、堂免沙弥(24)、吉川麻季(21)の3人など、意欲にあふれた選手ばかり。将来のS級レーサーを目標に、デビュー戦を待つ新人たちを紹介する。なお山本将之(26)=山陽=は、けがの影響で受けられなかった実地訓練(所属場の走路、環境に慣れさせるために行う訓練)が終了してからデビューする予定。

■中村杏亮 最短SGV狙う

▼最優秀賞を獲得

 選手資格検定はトップでクリアし、選手養成所の最優秀賞を獲得した。明るい未来しか想像できない“超”有望株だ。それでも中村杏亮は、「まだ克服すべき課題は山積み。全く満足はしていない」。そう言い切ると、口元を真一文字に結んで、視線を前に向けた。

 全体としては順調な養成所生活だった。ただ訓練中盤に一度、スランプに陥った。「不調の時に落車まで。もう何がなんだか…」。苦しみもがいていた時、後に師匠となる久門徹、高宗良次が指導員として来所。腰周りの整備とともに精神面のアドバイスを受けた。「それから考え方が一変」。全てプラスにとらえられるようになり、「急にタイムが上がりだした」。自信を取り戻し、勢い十分のまま最後まで突っ走った。

 本当はプロ野球選手が夢だった。しかし、野球推薦で進んだ大学時代に、以前痛めていたけがが再発して断念。「けがが全てを奪い、喪失感だけを残した」。けがの怖さは身をもって知っている。とはいえ、「恐れていては何もできない」。まさにレーサーになるために生まれてきたような満点の度胸を持ち合わせる。

 「32期最優秀の人には負けたくない」。デビューから4年足らずでオート界の頂点に立った鈴木圭一郎超えが目標。久門が持っていたデビュー後最短SGV記録を更新した鈴木圭の記録を打ち破り、“師匠の敵討ち”を、と鼻息は荒い。しかし、それは並大抵の努力では成し得ることができない大きな夢。「常に一生懸命」、「常に闘争心を前面に」という信条のもと奮闘し続けるとともに、「実地訓練に出て好きになった」という整備の力も身に付けられれば、目標はグッと近づくはずだ。

■佐伯拓実 覚悟の転職厳しさ耐え

 平凡な人生を劇的に変えたかった。佐伯拓実は高校卒業後、自動車部品の製造工場に就職。5年間働いたが、「頑張った分だけ自分に返ってくる、達成感のある仕事がしたい」と転職を決意。そんな時、幼少期から憧れていたオートレーサーの募集が目に入った。“これだっ”。すぐに受験の手続きを進め、見事、一発合格を決めた。

 「自分にはもう帰るところはない」。覚悟を決めて選手養成所生活を送った。小中高と打ち込んだサッカーの道でプロになる夢を諦め、もう一つの夢「オートレーサーまで投げ出したくなかった」。その強い思いがあったからこそ、想像以上の厳しさに耐えられた。

 選手資格検定は真ん中より少し上で突破。とはいえ、「やり残しがあって悔いは残る」のが本音。デビュー後に持ち越した多くの宿題を片付けるため、より一層の練習量はもちろん、「考え過ぎる性格」をポジティブに変えようと懸命だ。目標は、「高橋貢さんのような誰からも愛される選手」。不断の努力で精進をし続ければ、きっと“絶対王者”にも近づけるはず。

■角翔太郎 減量成功で精悍さ増す

 角翔太郎は母親に連れられ、初めて見たオートレースに感動。「カッコ良くて中学生の時からなりたかった」。中学卒業間際に募集があった32期は、応募資格(満16歳以上)を満たしておらず断念。それでもきたるべき日に備え、高等専修学校に進学後は、帰宅途中にある山陽オート観戦を日課にするなど、オート研究に明け暮れた。そして初挑戦の33期で夢をかなえた。

 入所後は厳しい訓練で体重が減るどころか、逆に5キロ増の65キロへ。いきなり大物ぶりを発揮したが、「速い選手に、太った選手はいない」と言う教官の指摘に発奮。根性で減量に取り組み、同期一の高身長(175センチ)ながら、10キロ減の55キロまで落とした。よりプロらしい精悍(せいかん)な顔つきに変貌を遂げた。

 走行面では、「納得できていない」まま卒業を迎えたが、課題のフォームさえ固まれば、「もっと速くなれる」。しかも「まだ21歳。徐々に成長できればいい」と全く焦りはない。ただ、この道に進むことを強力に後押ししてくれた母親のために、「レーサー人生の始まりは絶対に1着で」と並々ならぬ気合で初戦に挑む。

■山本将之 けがから巻き返し誓う

 突然の不運に泣いた。山本将之は、実地訓練初日に落車して左肘骨挫傷などの大けが。もちろん以後の訓練は回避。山陽の同期生と同じ日にデビューできない試練に襲われた。リハビリに専念するため、卒業式も欠席。「本当は参加したかった…」。悔しさを押し殺して「おめでとう」と同期を祝福するしかなかった。

 前々期の31期を受験して1次試験を突破。しかし、2次は受けなかった。「堅実な道へ」と願う両親の希望を受け入れ、同時期に採用が決まった海上保安庁を選んだからだ。ただ、山陽オートレース場近くの海上自衛隊小月航空基地に訓練で訪れた時、「あの音が聞こえてきて…」。封印したはずのオートへの思いが再燃。反対する両親を何とか説得し、ようやく夢を実現させた。

 だからこそ、簡単に弱音を吐くわけにはいかない。「正直、焦りはある。でも、ほんの少しのことで差がつくのは嫌。負けたくない」。まずはけがを完治させた上で、着実に実地訓練を消化、デビューにこぎつけることが先決。「遅れても、その分は必ず巻き返す」。試練は成長の糧。これまで以上の努力で、必ず大きく飛躍する。

■木山優輝 負けず嫌い同期最年少

 33期を受験するか、しないか…。まだ高校在学中だった木山優輝の心は揺れていた。「好きな勝負の世界へ」とオートレーサーを志したが、現実を直視すると「無理だろう。卒業後に挑戦しても遅くないかな」。そんな時、祖父から一本の電話が入った。「冒険をしてみろ」。そのひと言に背中を押され、決断した。

 選手養成所では、生活面の厳しさは感じたが、走行訓練は「楽しかった」。ところが、実地訓練に入ると、師匠・田中茂の指示で腰周りを変更。その上、デビューして1年半後の1級車乗り換えを見越し、普段走るコースよりも小さく走ることを指導された。

 最初は「かなり戸惑った」。それでも同期最年少だけあって、さすがの適応力。わずかな期間で「手応えはつかんできた」と再び上昇モードに乗った。

 性格は「相当な負けず嫌い」。養成所では上位に属したものの、トップじゃなかったことが「悔しかった」。同じ整備グループには「大ファン」と言う浦田信輔がいる。田中茂と浦田を合わせてSG12V。最高の環境に恵まれ、必ず“同期ナンバーワン”の座を奪う。

■吉松優輝 憧れの“父超え”へ一歩

 勝負師のDNAは確実に受け継いだ。吉松優輝の父親は山陽支部長の憲治。「家では普通の父ちゃんだけど、レースで見る姿はすごくカッコいい」。幼少期から厳しい勝負の世界に身を置く父親が誇りだった。憧れてもいた。「いつかは自分もその場に立ちたい」。日に日にその思いは強くなり、父親の背中を追うことを決めた。

 ただ選手養成所では、決して優等生ではなかった。「落ち着きがなく、好きなことじゃないと続かない」と自己分析する性格が災いしたのか、「常に怒られ役」。しかしある時、オートに関しては一切、口出ししなかった父親が、「選手になったらそんなに甘くないぞ」とポツリ。そのひと言でハッと目が覚めた。「父ちゃんの顔に泥を塗ることはできない」。強い自覚を備え、課題克服に励んだ。

 現役レーサーの子息だけに、他の候補生より注目度が高いことは、本人が一番理解している。「デビュー戦は1着じゃないとダメだと思う」。プレッシャーを力に変えて目指す“父超え”の一歩を踏み出す。

■青木隆浩 候補生の手本 将来期待

 三度目の正直でようやく夢をつかんだ。オートレースの音とスピードに魅了され、受験を決めた青木隆浩は、31、32期と連続して1次試験で不合格。「実家のバイク店を継ごうか」と自動車の整備士専門学校に通い始めた後も、オートレーサーへの思いは消えることはなかった。そして33期でついに吉報を手にした。

 選手養成所では落車こそなかったが、訓練終盤に同期が着実に速くなる一方、「自分は思うように車の向きを変えられずに正直、きつい思いをした」。しかし、それが闘志に火を付ける材料になった。「デビュー後に同期より速くなってやろう、と一層強い気持ちになった」。ポジティブな思考は、いかにもレーサー向き。

 指導した教官も「真面目で言われたことはきちんとできる。候補生のお手本。養成所では乗車フォームが固まらなかっただけで、必ず速くなると思う」と将来性を高く評価。「デビュー戦は1着を取りたいが、まずは完走。そして必ず親に恩返しができるように頑張りたい」。最後も優等生らしく活躍を誓った。

◆飯塚初の女子レーサー3人娘

■稲原瑞穂 信頼得るため常に挑戦

 稲原瑞穂は、叔父のオートレーサー稲原良太郎に憧れ、志望した。ただ、危険な職業だと知っている。「叔父に相談すれば、絶対に反対される」と事前の相談は一切なし。内緒で受験し、合格通知を手にしてから伝えた。稲原良は「合格した以上、100パーセント応援します」。これ以上ない心強い援軍を得てレーサー人生を歩み始めた。

 選手養成所では、「上達が他より遅い。車の仕組みすら分かっていなかった」。何もかもが課題だった。それでも、おっとりとした雰囲気の外見とは違い、「意外と負けず嫌い」。他候補生に遅れながらも何とか選手資格検定は突破した。

 実地訓練に出てからは、「養成所とは違う“勝負”という雰囲気」に強い刺激を受けた。甘さがあった体調管理を含め、「候補生からプロへと心を入れ替えよう」と誓いを新たにした。

 「常にチャレンジ」がモットー。落車を恐れずに、わずかずつでも進化しようと挑戦し続ければ、目標とする「お客さんに信頼してもらえる選手」にもなれるはず。オートレーサーを目指すも、断念した父の思いも背負ってバンクに立つ。

■堂免沙弥 落車覚悟根性備わった

 「本当に苦労したんです…」。つらくて悔しい養成所生活だった。それでも堂免沙弥は、母親から届いた手紙に書いてあった「人生はプラスマイナスゼロ。悪いことばかりではない」という言葉を励みに、何とか卒業までこぎつけた。

 高校時代にしていたアルバイト先で一緒だった32期・佐藤裕児のデビュー戦で、オートレースを初観戦。何度か応援に行くうちに興味が湧き、33期受験を決めた。中学、高校と陸上部に所属。「走るのが好き」だったが、オートでは陸上のように、うまく“走る”ことはできなかった。

 慎重な性格ゆえ、思い切りグリップを開けて走れず、タイムトライアルは「いつもビリ」。それでも「ここでやらないと卒業できない」。落車覚悟で挑んだ選手資格検定を、「下から4番目」でクリアできたのは、着実に勝負根性が備わってきた証しだ。

 「これからだから焦らなくてもいい」。師匠・中原誠の言葉にも救われた。「結果を残してこそ恩返しができる。頑張るしかない」。支えてくれた周囲の人に感謝をしながらデビュー後は今以上の精進を重ねる。

■吉川麻季 粘り強さで奮闘し成長

 吉川麻季は、「要領が悪い自分に何か取りえが欲しい」と、ボートレーサーの試験を受け続けた。しかし、届くのは不合格通知ばかり。その数、何と9通。「これからどうしよう」。進路に迷い始めた時、32期の藤本梨恵と知り合った。飯塚遠征の藤本を応援するため、オートを初観戦。「何だ、この音と迫力は。こんな競技があったのか」。一瞬で心を奪われ、オートへの志願を決意、一発で悲願の合格通知を手にした。

 やっとつかんだ勝負の世界だったが、選手養成所では「何もできなかった」。選手資格検定タイムは一番下。悔しさしか残らない訓練生活だった。それでも「もう上がるしかないので、やるしかない」。実地訓練に出てからは、持ち前の粘り強さで奮闘。すると、「まだまだだけど、だいぶ良くはなってきた。楽しみはあるよ」と師匠の荒尾聡も認めるほどに成長し、デビューを迎えた。

 目標の選手はもちろん荒尾。「師匠みたいにパッと決められ、そして師匠みたいに仕事に厳しい選手になりたい」。少しでも近づくよう精進は怠らない。

=2017/07/16付 西日本スポーツ=

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