ホークスのプレーオフ・CS〈1〉 魔の「4.5差」勝率1位から2年連続V逸

西日本スポーツ

 【ソフトバンクのプレーオフ・CS〈1〉】

 パ・リーグはレギュラーシーズンの全日程が終了し、13日からクライマックスシリーズ(CS)が幕を開ける。2年ぶりのリーグ優勝を果たしたソフトバンクは、18日からのファイナルステージに進出。前身のダイエー時代を含め、現行のCS、プレーオフ通算12度目の出場となる。プレーオフ制度の導入初期から、これまでの短期決戦での戦いぶりを振り返る。

 リーグの活性化、観客動員増を見込んで、パ・リーグでプレーオフが導入されたのは2004年だった。レギュラーシーズン勝率2位と3位球団で、3戦2勝制の第1ステージを実施。この勝者と勝率1位球団が5戦3勝制の第2ステージを行い、リーグ優勝、日本シリーズ進出を争うというものだ。

 レギュラーシーズン勝率1位は、前年日本一のダイエーだった。プレーオフ第2ステージで、同2位の西武と福岡ドームでまみえる。初戦は城島、井口、松中、ズレータのソロ乱れ打ちで快勝。ところが、第2戦で和田の乱調から大敗を喫すると、第3戦は斉藤が4発を浴びて競り負ける。後がなくなった第4戦を先発倉野の好投で踏みとどまり、勝負は第5戦までもつれ込んだ。

 第2戦から中3日で先発してきた松坂に、城島が4回、先制ソロを見舞うが、この回、5回と本塁憤死が続く。すると新垣が6回、代打石井義の二塁打などで3点を奪われ逆転された。8回に井口が小野寺からソロ、9回に柴原が豊田から同点打を放つが、なお2死二、三塁のサヨナラ機で不振の松中は二ゴロ。延長10回に登板した最多セーブの三瀬が、代打犬伏に決勝犠飛を許し、まさかの敗退にナインは立ち尽くした。

 オフの身売りでソフトバンクとなった翌年も、レギュラーシーズン勝率1位となった。雪辱を期し、第2ステージで同2位のロッテをヤフードームに迎える。千葉での第1ステージで西武を一蹴して乗り込んできた相手には、勢いがあった。第1戦を18勝&防御率2.11で沢村賞の杉内で落とし、第2戦では開幕15連勝を果たした斉藤も敗れた。あっという間に王手をかけられ、第3戦も劣勢。スコア0-4で9回を迎え、抵抗できないままの終戦が現実味を帯びた。

 この局面で、どうにもおとなしかった打線が目覚める。4点差で出てきた守護神の小林雅相手に、一挙4点で追いつくと、延長10回に川崎がサヨナラ右前打。第4戦は同点&逆転の2打席連発を見舞ったズレータが、お立ち台で「ゼッタイニ、アリカメナイ(アキラメナイの発音間違い)」と叫んだ。逆王手の事実以上に、一変した流れを感じさせた。

 第5戦は4番松中に18打席目の初安打となる左前適時打が出るなど、5回を終え2-0。ところが、ここから再び景色が暗転する。6回に杉内が1点を返され、7回から継投。8回、既に引退表明していた代打初芝のゴロが、三塁バティスタと遊撃川崎の交錯から内野安打となる。ピンチで三瀬からマウンドを引き継いだ馬原が、里崎に逆転二塁打を許した。反撃及ばず、ソフトバンク元年にダイエーの悪夢が再来した。

 制度への恨み節が聞かれるのも無理はなかった。04、05年とも、レギュラーシーズンで勝率2位球団に4.5ゲーム差。プレーオフでの相手に5ゲーム差をつけていれば1勝のアドバンテージが得られたが、わずかに足りなかった。当時はプレーオフ勝者がリーグ優勝となるため、2年続けて「勝率1位でリーグ2位」。いずれの年も相手が日本一まで駆け上がった。04年に三冠王、05年に本塁打&打点の2冠に輝いた松中が、この2年のプレーオフで通算35打数3安打、打率.086と不振を極めたのも象徴的だった。

 プレーオフに泣く悲運のチーム。それをさらに印象づけたのが、翌06年だった。(つづく)

=2017/10/09 西日本スポーツ=

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