ソフトB和田、清宮に「21」の“先輩”エール 「球界背負っていくバッター、楽しみ」

西日本スポーツ

オフィシャルスポンサーが集まったパーティーに出席して関係者と談笑する和田 拡大

オフィシャルスポンサーが集まったパーティーに出席して関係者と談笑する和田

壇上に柳田(右)らと整列する和田(中央)

 福岡ソフトバンクの和田毅投手(36)が24日、自身と同じ背番号21で日本ハムの入団会見に臨んだ清宮幸太郎内野手(18)=東京・早実高=に“エール”を送った。現時点で清宮は、来季12球団では投手以外で唯一21を背負うが、米メジャーでは強打者が付けることも珍しくない番号だ。「球界を背負っていく選手」と清宮を評す和田は、将来的にメジャーも志す怪物に新たな21番像の構築を期待した。

 和田はどことなくうれしそうだった。この日、球界の至宝の背番号が「21」に決まった。ソフトバンクをはじめ、今秋のドラフトで高校生史上最多タイの7球団が1位で指名し、日本ハムが交渉権を獲得した清宮だ。「決まったんですね。有力とは聞いていましたけど」。入団会見が行われた札幌から約1400キロ離れた福岡で、和田はそんな感想を口にした。

 現在、プロ野球界の21で最も実績を残しているのが和田だ。日本で通算126勝。米国時代を除き、プロ1年目の2003年から一貫して背負ってきた21に対しては当然ながら思い入れも深い。「誕生日も(2月)21日だし。(東京)六大学の先輩の杉浦さんも付けていて、(工藤)監督も2年間付けていた。長年付けて、愛着もある」

 早大4年時に日本代表として世界大学選手権に出場した際に初めて背負い、ダイエー(当時)との入団交渉で提示された複数の番号から選んだ。かつては立大から南海に入団しアンダースローで187勝を挙げた杉浦忠(故人)や、西武から移籍した現役時代の工藤監督が1995、96年に付けるなど、球団の大黒柱の系譜をくむ番号でもある。

 今年のプロ野球界を見渡しても、オリックスの西やセ・リーグで連覇した広島の中崎、日本シリーズや侍ジャパンで活躍したDeNAの今永ら好投手がずらり並ぶ。ただ、米国時代には18や67なども付けた和田には「21=投手」といった固定観念はない。「日本球界を背負っていくバッターになっていくだろうし、すごく楽しみ。ソーサもそうだし、メジャーでは野手も付けている」。清宮に規格外の可能性を感じるからこそ「21番像」をいい意味で壊すことを期待する。

 和田にとっても楽しみな存在ながら、マウンドに立てば敵と味方。史上最多とされる高校通算111本塁打を放った怪物が、ルーキーイヤーにどれほどの働きを見せるか。「1軍で出るということはチームに認められたということ。もちろん、対戦するとなればしっかり抑えたい」。背番号21の“先輩”として、威厳たっぷりに“後輩”との激突を待ちわびた。 (鎌田真一郎)

◆日米球界の背番号21

 【プロ野球】今季のプロ野球では12球団の21番は全て投手だった(日本ハムは武田久、10月に退団)。エースのイメージが強く、ソフトバンクでは南海時代の58~70年まで付けた杉浦忠以降は全て投手。西鉄、西武などで通算251勝の東尾修、日本ハムでも土橋正幸、高橋直樹、西崎幸広ら歴代エースが背負った。三原脩はプロ野球契約第1号選手(内野手)として36年に巨人入団、最初の21番を付けた。巨人V9を支えた左腕の高橋一三は入団3年目の67年から21を付け、69年に22勝5敗で最多勝と沢村賞を獲得した。

 【米メジャー】プエルトリコ出身で4度の首位打者に輝き通算3000安打、打率3割1分7厘をマーク、12度のゴールドグラブ賞を受賞したパイレーツの外野手、ロベルト・クレメンテが代表格。同球団では21が永久欠番となっている。社会貢献にも尽力したクレメンテは後進に影響を与え、特に中南米出身に21を付ける選手が多い。通算609本塁打のサミー・ソーサや306本塁打のルーベン・シエラらが背番号21でプレーした。

=2017/11/25付 西日本スポーツ=

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