競争率19.2倍クリア SBドラ1吉住は五輪選手の卵だった ルーキー履歴書・前編
【ソフトバンク ルーキーたちの履歴書・前編】
今秋のドラフトでソフトバンクが指名した支配下5選手の足跡をたどる特集企画。ドラフト1位、吉住晴斗投手(17)=山形・鶴岡東高=の前編では、たぐいまれな身体能力の源流に迫る。
庄内平野の東側に連なる出羽三山を見上げればまだまだ雪の白さが目立つ。吉住家の第2子となる長男が誕生した2000年3月12日はそんな日だった。「晴れ間にのぞくさわやかな青空のような男の子に育ってほしい」。体重3360グラム。のちにホークスにとって初のミレニアム世代、山形県からは初の高卒ドラフト1位となる男児は、父英則と母真由美の前述の願いを込めて「晴斗」と名付けられた。
最速151キロを誇るバランスのいい投球フォームと、それを生み出す筋肉質の体。その素地は目の前の“ライバル”との戦いを通じてつくられた。2学年上の姉、桃花だ。高校まで陸上の短距離選手だった真由美の影響を受け継いだのか、桃花は幼少時から足が速く、運動センス抜群だった。山形商高ではバスケットボールで全国総体や冬の全国大会、ウインターカップにも出場。吉住が振り返る。「僕が中学に上がる前までは一緒に遊んだ。バスケはもちろん、足の速さもなかなか勝てなかった」
そんな姉に引っ張られるように、吉住は年に1度、小学校で行われる持久走では必ず学年トップ。桃花と同様に剣道や硬式テニスを次々と始め競争心をのぞかせた。分岐点は小学3年生のころ。友達との遊びの延長でしかなかった野球への興味が増し、地元のスポーツ少年団「大宝寺スターファイブ」に入団した。「野球はメジャーなスポーツ。僕はやっていなかったけど、息子にはやってほしかった」。ひそかに抱いていた英則の思いを知ってか知らずか、吉住は主に外野手としてはつらつとプレーした。
持ち前の負けん気で磨き上げた身体能力は周囲にも認められた。小5になる直前。県が主体の「YAMAGATA ドリームキッズ」第1期生に応募した。五輪など世界に通用する選手を育てるため小4もしくは小5から5年間、複数の競技を体験させることで適性のある素材を発掘する事業だ。実績のある指導者にも教わる機会が与えられるこの企画には30人の枠に577人もの応募があり、吉住は19.2倍の難関を乗り越えて合格した。=敬称略
◆病弱だけど大暴れ?
吉住が生まれた当時の苦労を母真由美は「本当に体が弱くて…。あのころが一番苦労した」と振り返る。1歳の時は1カ月半の間に3度も風邪から肺炎を併発、入院したこともある。それでも体調が落ち着くと病室のベビーベッドで立ち上がって暴れるため、泊まり込みで付き添う両親もぐったり。見かねた看護師たちの申し出で、夜勤の合間にナースステーションで面倒を見てもらったりしたそうだ。
⇒【後編】ドラ1吉住、投手歴は高校から…で151キロにつづく
=2017/12/08 西日本スポーツ=




















