ソフトBドラ2高橋をアンダースローに改造したのは「佑ちゃんの同僚」だった

西日本スポーツ

 【ソフトバンク ルーキーたちの履歴書・前編】

 今秋のドラフトでソフトバンクが指名した支配下5選手の足跡を追う特集企画。ドラフト2位、高橋礼投手(22)=専大=の前編では、オーバースローから下手投げへ転向した背景に迫る。

 188センチのアンダースロー。高橋を表現するフレーズには十分すぎるインパクトがある。

 1995年11月2日、千葉県松戸市で伸彦と真子の長男として3100グラムで生まれた。幼少期の遊び相手は2歳上の姉登紀の同級生が多かったが、はたからでは年の差が分からないほどの体格、動きだったという。ボールを握るきっかけは小学校入学と同時に入った「子ども会」。同会では女子がドッジボール、男子はソフトボールをするのが一般的だった。

 ピアノや習字もたしなんだ高橋が、唯一熱中したのがソフトボールだ。名古屋市出身の真子が中日ファンだった影響もあった。伸彦は出勤前に近くの公園で早朝練習に付き合い、高橋家は一人息子の野球を中心に回りはじめた。

 主に遊撃手だった高橋は小学4年で投手に指名された。人生で初めての「下手投げ」はこの時だ。一方で、ソフトボールをやめる要因もこのウインドミル投法にあった。伸彦に野球経験はなかったが「本格的に野球をやるときに支障が出るのでは」と危惧。ほどなくして硬式野球の「松戸ボーイズ」に転籍した。

 中学時代は地元の強豪「流山ボーイズ」に所属した。同学年18人のうち6人が投手。当時オーバースローの高橋の位置付けは3番手程度だった。きれいなフォームから投げる球は素直で打ち込まれるシーンが後を絶たなかった。

 中学3年の春。「0か100。でも、懸ける価値はある。横回転の方が合っている」。コーチの新佐古剛人はアンダースロー転向を迫った。早大で斎藤佑樹(日本ハム)らとプレーした経験を持つ青年コーチの脳裏には、高橋がゴロを捕球した際に、ターンして横手から投げる球の勢いが焼き付いていた。

 「投手を続けるにはやるしかない」。登板機会に飢える高橋に、迷いはなかった。新佐古は他の数人にもフォーム改造を提案したが実践したのは高橋だけ。最初はサイドスローに近いフォームながら、初めて投げるシンカーが右打者の膝元にストンと沈んだ。新佐古の直感は、的外れではなかった。=敬称略

⇒【後編】延長13回サヨナラ押し出しで高3夏終了 ドラ2・サブマリン高橋のその後につづく

=2017/12/09 西日本スポーツ=

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