ソフトBドラ3増田の“予言書” 小学校作文に書いた「U15代表→プロ入り」
【ソフトバンク ルーキーたちの履歴書・前編】
今秋のドラフトでソフトバンクが指名した支配下5選手の足跡を追う特集企画。ドラフト3位、増田珠外野手(18)=神奈川・横浜高=の前編では、幼少期に書いた、ある「指針」に焦点を当てる。
15歳で長崎を飛び出した。強豪の横浜高(神奈川)の門をたたいた野球小僧が九州に帰る。小学時代に記した、未来予想図のままに。
松坂大輔を擁した同校が甲子園で春夏連覇した翌年。1999年5月21日、増田は3890グラムで産声を上げた。父照久はテレビ番組の制作会社勤務、母美穂はタウン誌の編集者。生後2カ月で保育所に預けられた増田は幼い仲間たちと伸び伸び育った。「一人っ子らしくないと言われるのはそのせいかも」と美穂は語る。
1歳でキックスケーターを乗りこなし、側転もできた。同学年では体も大きく、稲佐小に入学するとソフトボールチーム「稲佐青空」に誘われた。照久がロッテファンで夜のテレビはプロ野球中継。当たり前のように野球のとりこになった増田は、録画した甲子園中継を繰り返し見ては野球を知らなかった美穂に“解説”した。
エースになった小4のとき、コーチに言われた。「おまえは2歳上を相手にしていけ」。この言葉が横浜高で1年からレギュラーを奪う原動力になる。同じころ小学校で課された人生設計を考える作文に書いた。「U-15(15歳以下)日本代表に入り、プロ野球選手になる」。小6で九州大会準優勝。中学で硬式の「長崎リトルシニア」に入ると、投手と外野手の兼任で1年時から毎年、全国大会に出場した。九州選抜にも入りその名は確実に広まっていった。
体育委員長だった淵中3年時。体育祭にかける思いも人一倍だった増田は披露するソーラン節も完璧に仕上げていた。だが、その日はU-15日本代表のセレクション。「中学最大の目標だったから迷わなかったけど…」。結論は出ても、後ろ髪を引かれた。雨天順延になれば増田も体育祭に参加できると、クラスメートはてるてる坊主を逆さにしてまで祈ったという。
「これで落ちたら合わせる顔がない」。重圧の中、実戦形式の1打席目で本塁打。代表の主将と4番も務め、全国の強豪校から次々と声が掛かった。「いい投手と対戦してレベルを上げたい」。そして決めたのが、現役プロ選手を最も輩出している名門だった。=敬称略
◆本当の名前は「まる」だった?
増田が生まれる前、父照久と母美穂は胎内にいたまだ見ぬ子を「まるちゃん」と呼んでいた。産後に名前を変えるつもりだったが、「まるちゃん」の呼び名に愛着が湧いた2人は当初、そのまま「まる」と命名。丸いイメージの漢字を探す中で、宝物を意味する「珠」に行き着いた。だが、親類から「いじめられてしまう」と猛反発されたことから、同じ漢字で読み方を変え「しゅう」となった。
⇒【後編】高校デビュー戦で3三振&痛恨失策 ドラ3増田に名将・渡辺元智がかけた言葉につづく
=2017/12/10 西日本スポーツ=




















