「大きいだけで目障り。辞めてしまえ」ソフトBドラ4椎野を突き放した恩師の思い

西日本スポーツ

 【ソフトバンク ルーキーたちの履歴書・前編】

 今秋のドラフトでソフトバンクが指名した支配下5選手の足跡をたどる特集企画。ドラフト4位、椎野新投手(22)=国士舘大=の前編は、好素材の目の色を変えた出来事について。

 ひときわ背が高く「鉛筆」と呼ばれた男がプロへの道を切り開いた。身長195センチの大型右腕は決意した。「ホークスを代表する投手になりたい」。そのルーツは、新潟県の北部に位置し、豪雪地帯でもある胎内市にあった。

 阪神大震災、地下鉄サリン事件と列島が揺れた1995年の10月10日に生を受けた。3人きょうだいの末っ子。父衛(52)と母弘美(53)にとって待望の長男の誕生だった。「新しいものに何でも挑戦してもらえるように」と新(あらた)と名付けられた。小さい頃から山や田んぼを駆け回り、元気いっぱいに育った。

 野球との出合いは小4の時だ。友達に誘われ軟式の「黒川サンダース」で白球を握り、放課後も練習に明け暮れた。育ち盛りで食欲旺盛な少年は牛乳を水代わりに毎日1リットル近く飲み、食卓には親戚の農家が作ったコシヒカリ。入学時に130センチだった身長は、卒業するころには40センチ近く伸び169.5センチになった。衛は「運動会でもすぐに分かって、写真を撮るのは苦労しなかった」と笑いながら振り返った。

 野球にものめり込んだ。チームではエースで4番。自宅の庭でも母と秘密特訓を行った。姉の使い古したハイソックスを丸めてボール代わりにしてのトスバッティング。20個ほど“ボール”を作り、弘美が投げて打ったり拾ったりを繰り返した。「庭だと飛びすぎるので道路でもやっていた」と弘美は回想する。父とのキャッチボールでは椎野が「練習にならない」と漏らすまでに成長。黒川中に進んでも軟式で野球を続け、村上桜ケ丘高で甲子園を目指した。

 高校入学時は190センチ、体重72キロ。監督の松田忍(68)は「とにかく大きい。鉛筆みたいな男だな。すぐにとは考えず、じっくり育ててみたい」と大器の片りんを感じた。2年秋。思うような成長曲線を描けずにいる逸材を見かね、松田は「大きいだけで目障りだからやめてしまえ」と激しく叱責(しっせき)する。言われるまま帰りかけた椎野は、チームメートに止められて踏みとどまった。同時に、その心に反骨心が芽生えていた。=敬称略

⇒【後編】「厳しく鍛えられた“温室育ち” ドラ4椎野がこもった場所とは」につづく

=2017/12/11 西日本スポーツ=

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