1歳でグラブ手に 3歳で野球一本 ソフトBドラ5田浦は白球がトモダチだった

西日本スポーツ

 【ソフトバンク ルーキーたちの履歴書・前編】

 今秋のドラフトでソフトバンクが指名した支配下5選手の足跡をたどる特集企画。ドラフト5位、田浦文丸投手(18)=熊本・秀岳館高=の前編は、幼くして野球を志した少年の日々を追う。

 福岡で生まれ、熊本で力を蓄え、故郷に戻ってきた。11月27日、ヤフオクドームで球団と交渉し入団に合意。小さい頃、観戦に通った球場のマウンド付近で記念撮影した。「早く1軍に上がってこの球場で活躍できるように頑張りたい」。18歳の左腕が夢に向かって歩きだした。

 1999年9月21日。福岡県大野城市で父耕治(44)、母真帆(43)の第1子、長男として生まれた。文丸(ふみまる)は祖母の知り合いが付けた名。努力家であれ、いい出会いに恵まれるようにとの意味が込められている。古風な名を真帆は「想像もしなかったのでちょっとびっくりしたけど、周りからもいい名前と言ってもらえた」と振り返る。2210グラムで生まれた小さな男児はすくすくと育っていった。

 1歳になるとグラブを手に柔らかいサッカーボールやゴムボールで遊んだ。真帆は「3歳ぐらいから野球がしたいと言っていた。小学生にならないとチームがないので」と苦笑いで回想する。小学生になり、地元の「平野リトルジャガーズ」に入団。週4回程度の練習では満足できない息子のため、自営業の耕治は仕事で使う配管用のパイプとネットで家の中にティー打撃の練習場を作った。父が投げる柔らかいボールを田浦は来る日も来る日も打ち返した。

 野球に夢中になる中で一つの思いが芽生えてきた。「プロ野球を目指し強いチームでやってみたい」。頭にあったのはチームの間で話題だった硬式の強豪「糸島ボーイズ」だ。「どこにあるのか分かっているのかな。近くにもチームがあるのに」と戸惑う真帆は同県糸島市のグラウンドまで2、3度、車で約1時間かけて連れていった。移動で疲れてすぐ断念するかと思いきや、決意は変わらなかった。セレクションに合格して迎えた平野中時代。授業が終わると猛ダッシュで帰宅し、平日は午後5時発のバスで糸島に向かった。練習は9時まであり、家に帰るのは10時すぎ。「野球に追われる日々だったけど弱音を吐いたことはなかった」と両親が成長を頼もしく見守る中で、田浦は投打で抜きんでた存在になっていった。=敬称略

⇒【後編】ソフトBドラ5田浦と鍛治舎監督の奇縁 中2の夏…アンビリバボーな巡り合わせ

につづく

=2017/12/12 西日本スポーツ=

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