さらば闘将星野仙一氏 王会長「残念でならない」

西日本スポーツ

2003年、日本シリーズを前に握手するダイエー王監督(右)と阪神・星野監督 拡大

2003年、日本シリーズを前に握手するダイエー王監督(右)と阪神・星野監督

 闘将逝く…。プロ野球中日のエースで、中日、阪神、楽天の監督を務めた星野仙一氏(楽天球団副会長)が4日午前5時25分に死去した。70歳。2016年7月に膵臓(すいぞう)がんであることが判明し、昨年12月に病状が悪化した。6日に近親者で密葬を行い、後日お別れの会を開く予定。現役時代と監督時代に星野氏と好勝負を繰り広げた福岡ソフトバンクの王貞治会長(77)は「とにかく残念でなりません」と別れを惜しんだ。

■死球巡り乱闘騒ぎも

 セ・リーグの覇権を競った巨人の主砲と中日のエースとして相まみえた。初対戦は星野氏がプロ入りした1969年だ。現役時代の通算成績は195打数62安打、打率3割1分8厘。24本塁打は王会長が対戦した投手の中で2番目に多い。その数字は、球界を代表する本塁打王に対し、7歳下の右腕が真っ向勝負で向かってきた証しでもある。王会長は球団を通じたコメントで「闘志を前面に出した、あの攻撃的な投球は、勝負していてとてもやりがいのある投手でした」と振り返った。

 因縁は2人が監督となっても続く。1987年は王巨人がリーグ制覇。巨人・クロマティへの死球を巡って乱闘騒ぎも起きた。翌88年、星野中日に覇権を奪われ、王会長は巨人のユニホームを脱いだ。さらに王会長が福岡ダイエーを率いてパ・リーグを制覇した99年、日本シリーズで対戦したのが、2度目の政権となった星野中日だった。「内弁慶シリーズ」と呼ばれた2003年の相手も星野阪神。いずれも王ホークスが日本一に輝いている。

 王会長は06年、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表監督として世界一に。続く世界大会、08年の北京五輪で日本代表を率いたのが星野氏だった。「昨年、野球殿堂入りのパーティーでお会いしましたが、こんなに急に亡くなられるとは、とにかく残念でなりません。ご冥福をお祈りします」。好敵手が去った。

=2018/01/07付 西日本スポーツ=

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