カズ山本氏「ドームの屋根が開いて、パラシュートで人が降りてきた」/ホークスOBトーク2
ソフトバンクは5月5日のオリックス8回戦(ヤフオクドーム)を、球団創設80周年企画「レジェンドデー」の第2回として開催した。ゲストとして招かれた南海、ダイエーOBのカズ山本こと山本和範氏(60)が試合前に球場内の「王貞治ベースボールミュージアム」で、ファン約40人を前にトークショー。その様子をお届けする。全3回の第2回。
-1988年オフ、南海ホークスはダイエーホークスとなって福岡に移転。地元野球ファンはついに福岡、博多にプロのチームが入ってくると盛り上がった。ただ本拠地の平和台球場も、当初は7割がライオンズファンだった
いや、ライオンズ、強かったですもん。強いっすよ。僕は打ってますよ?対戦成績ね。ものすごい打ってます。イッヒヒ。
-満員の平和台球場にはエメラルドグリーンの、福岡ダイエーの大きな旗を振るファンもいれば、左翼席には、まだ西鉄ライオンズの旗を振るファンがいた。それがいつの間にか、二分されるようになった
そうですね。いやあの、またね、子ども受けするようにね、ご存じないと思いますけど…あのね、ヘルメットが面白いですよ。子ども受けするようにね!
-いわゆるガッチャマン。あのユニホームとヘルメットが個性的だった。あれほど個性的なのは後にも先にも…
ダイエーだけ。で、あのユニホームがね、ブラウン使っとんすよ。ブラウン系使っとるっちゅうのが、それまで野球界、全くなかった。あのー…縦じまなんですけど、デザイン、誰か知ってます?
-デザイナーの三宅一生氏
よう知っとんね!ピンポーン。
-話題性もあった
で、あの、ロサンゼルスオリンピック(1984年)のイーグルサムってマスコットがあるんすけどね。そのデザイナーがね、当時、ダイエーのあのマスコット(その後デザインは変遷)を作ったんすけど。新しいことをやったんです。それも勉強になりましたですね。
-平和台球場でプレーした当時の思い出は
いや、そらもう、近いですから。今日はおとなしいですよ。随分、年とったっすね、皆さん(笑)。昔は、平和台、怖かったですよ、ねえ。酒飲んでこう(物を投げ込むしぐさで)ボーンとね…(笑)。
-荒っぽかった
怖かったですけどね。勝てば喜んでくれるという。ほんなら、もう、勝てばいいんですから。勝てば良かった。
-徐々に勝っていった
そうそう。特に打線は良かったですよ。当時は。打線は良かったですね。最後まで頑張った。
-佐々木誠、岸川勝也、藤本博史、湯上谷宏(後に=志)といった面々だった
打線は良かったですよ。ただ、ちょっと投げる人がですね…(笑)。あの、投げる人が、今の方がいらしたらね。そったらねえ、もう、負けてない。あの投手陣が一人でもおればですね、メジャーに負けてないっすよ、メジャーに。今、投手陣がすばらしいですよ。ですけど、今年ゃちょっとね、故障者が出てますけど。まだ始まったばっかですから。
-平和台球場に来る前に、福岡ドームができる話は知っていたか
いや(福岡に来て)途中からですね。選手会長になって。ドームを二つ造るちゅう予定やったんすよ。
-「ツインドーム構想」があった
計画がね。で、あの、まあ結果…これが、あまりにもでかすぎたんですよ。ショッピングモール(旧ホークスタウン)の所に、もう一つ(ドームを)造るという感じで言いよったんですけど。
-度肝を抜かれるような話だった。開閉式の屋根で…
うん、ビックリしたですよ、開くから。今はどうか知りませんけど、パラシュートでこう、降りてきますよ、人が。今やってますか? やっぱ危ないっすよ。安全面、考えてね。開幕戦(の時期に)風が強いんですよ。屋根の上に降りたらどうするんだと。そこを入ってくる。まさか、ガッチャマンやないかと。あんなとこから入って来るんすよ。バァ-ッと。内野、セカンド、ライト、センター…って、降りてくる。
-全ポジションに降りてきた
ほんなん、野球どころやないっすよ。ねえ。ほんとすごいっすよ。あの間から、空から降りてくるんですよ。玄界灘の風に吹かれて。知らんで! 海に落ちたら。
-相当技術のある、ライセンス上級者だろう
海に落ちて事故になったら野球どころやないっすよ。開幕戦ですよ。まあそんな、あの、恐ろしい企画を考えるんですよ。
-福岡ドームでの思い出は
まああの、(開業してホークス選手では)最初にホームランを打ったっちゅうだけですよね。ハッハッハ。はい。
-オールスターで本塁打を打ったのは近鉄に戻ってから?
そうですね、まあホークスで打ちたかったんですけどね。やっぱあの、自由契約…クビになったんで。フッフッフ。クビがあるんだ、俺らの世界。イチロー君みたいに、特別補佐みたいの、あればいいんだけど(笑)。そんな時代じゃなかったんでね。
-当時そういう柔軟な発想があれば…
そうですねぇ。なかなか、やっぱ、これはもう縁がなかったね。でまあ、最後、近鉄に拾われたんですけど、それで出たオールスターゲームがここ(福岡ドーム)やったんですよ。
-決勝ホームランでMVPに輝いた
オールスターで1回はMVPは取れるんですよ。2回はなかなか取れませんよって。2回取ってますから。みんな1回と思うとるんすけど。南海ホークス時代に。一番、最初にホークスで出た時(1986年)に、すぐ取ったんで。
-その後2度、解雇されている
まあ3回なってますけど。解雇は(笑)。
(※山本氏には99年オフに近鉄から自由契約、この年限りで現役引退)
-そこからはい上がった
いやもう、はい上がれんですよ。はい上がれん。
-過去2度の話です。その闘志の源は
いや、暇なだけですよ。
-それは今の話でしょう。やはり、野球への愛情が第一か
まあ野球、好きなんで。まああの、野球にはほんと、お世話になっとるんで。まああの、ジュニアを教えていける(少年野球教室など)ような立場で、ちょっと野球に携わってます。本当、ありがたいことですね。
-普段はこうやって話をするが、現役時代、試合前の集中力はすごかった
人生懸かってますから(笑)。
-周囲に気がつかないぐらいの集中力
そらそうですよ(笑)。
-当時、代打出場の際、集中するあまり、バットの重りのリングをつけたまま打席に立った話は本当か
まあ、そう…本当ですよね。そんなアホなことばっかりやっとったですわ。
-ベンチが気づいて「外せ」と指示。外して振ったらホームランだったというのも…
いやいや、まあ(笑)。
-酒量はともかく、漫画の「あぶさん」のようだ
僕は漫画が大好きで。ねえ。漫画みたいにできたらいいんですけどね。
-そして、オフに引退勧告を受けたが、現役続行を宣言して臨んだ99年。この福岡ドームで、9月30日。既に優勝を決めていたホークスの最終戦、山本氏も最後の試合で、指名打者でスタメン出場。そしてその…
最後の打席ですよ。
-ホームランを打ってしまう。まさに劇画調だった。
ねえ。まあ、詳しいことはユーチューブで(笑)。
-地元が福岡で南海からダイエーに移って、福岡ドームでプレーすることに縁も感じたのでは
まあ、監督がよく使ってくれましたね。監督が使わなダメなんだよね。(近鉄の)監督がよう使ってくれたですよ。佐々木恭介さんという監督でね。佐々木恭介監督さんが、よーう、使ってくれたですね、ほんとに。最後まで使ってくれましたからね。
-第1打席で安打を打っていた
最初の打席でねぇ。ヒット打った。あれ三振やったらアウトや。あれ三振やったらもう、よくある「ご苦労さん」で終わっとる。
-試合後にホークス優勝セレモニーが予定されていたが、ファンからの大声援で、その前に、山本氏のセレモニーが行われることに
そう、もう、勝手にやったもんで、ええ。現役続行する予定やったんだけど、みんなが回れ回れちゅうから。ねえ。
-最初はレフトスタンドの前まで行く予定だった
いやそんなことないですよ。(グラウンドを)回る予定だった(笑)。だからテープがなくなったんですよ、テープが。
-ホークスの優勝を祝う紙テープを山本氏のセレモニーで使ってしまった
そうなんですよ。またすぐ、売れば良かったですけどね、ねえ(笑)。
-当時のファンの気持ちを酌むと
いやーもう、ほんとねえ、ありがたいですよねえ。ま、僕はその、その時はホークスのユニホームじゃなかったんですけど、大声援でね、ほんと、ありがとう、ちゅうことを言うていただきましたから。まあ、良かったんじゃないかなあと。うれしいですねえ。
-平和台球場時代からの歴史もある
そうですね、福岡の人はほんとに、ありがたいですね。福岡と言うか、まあ、野球、ホークスファンはね。まあ大阪に行ってもそうなんですけど。ほんとにありがとうございます。ほんとに!ありがとうございます。
-ファンの温かさを感じる
あったかい。今日も、お客さん来ないかなーと思ったんだけど。
-実際、ステージのドアを開けるまで心配していた
そうそうそう。開けるまでね。ほんとありがたいですよ。大丈夫すか?時間。野球始まりますよ。野球が。
(※この時点で試合開始まで1時間を切っていた)
(3へつづく)
※=は「立」の右に「ナ」、その右下に「ム」
=2018/05/11 西日本スポーツ=




















