カズ山本氏「自由契約になって途方に暮れとるところを…」/ホークスOBトーク1

西日本スポーツ

南海・山本和範=1984年ごろ撮影 拡大

南海・山本和範=1984年ごろ撮影

 ソフトバンクは5月5日のオリックス8回戦(ヤフオクドーム)を、球団創設80周年企画「レジェンドデー」の第2回として開催した。ゲストとして招かれた南海、ダイエーOBのカズ山本こと山本和範氏(60)が試合前、球場内の「王貞治ベースボールミュージアム」で、ファン約40人を前にトークショーを行った。その様子をお届けする。全3回の第1回。

 -プロ初安打も最終打席もホームラン。山本氏はプロ野球ファンの記憶に深く刻まれるレジェンドだった

 (ステージに登場し)ご苦労さんです、皆さん。


-第2回「レジェンドデー」のゲストとして招かれた

 まだ若いのにねえ(笑)。王ミュージアムで、こんなことやらさせていただいて、王さんゴメンナサイって感じです。王さん(の打った数の)ちょっととしか打ってないんですよ、ホームラン。ねえ。大した選手じゃないんですけど。運ですよ。


-第1回のゲストは南海時代の野村克也氏、江本孟紀氏。今回は南海からダイエーの時代の山本氏。現役時代の打撃談議が思い出される

 忘れとうっすよ。球がピュッと来るとかそういう話でしょ。


-福岡・北九州の戸畑商(現・北九州市立)高から近鉄に入団。戦力外となった後、バッティングセンターでバイトをしていた

 バッティングセンターで、ちょっと就職しましてね。


-就職?

 まあ就職ではないですけど(笑)。働くとこがね、なかったっていうか。まあ、たまたま、紹介してくれた人がいてね。今、あの、ソフトバンクの2軍のピッチングコーチしとる。


-久保康生さん

 よお知っとるね。


-知ってますよ

 久保君が、あのー、同期のドラフト1位。で、僕は5位。それで、まあ、僕が自由契約になって、途方に暮れとるところを、電話でね、大阪のバッティングセンターでちょっと練習しときなさい、と。必ず声がかかるからって。そういう感じでうまく、バッティングセンターでお世話になって。


-翌1983年、すぐに南海入り

 南海ホークスに決まりましたですね。


-今では考えられないような出来事

 まあ、運が良かっただけです(笑)。拍手するとこですよ(場内拍手)。ほんと、この、運ですよ。


-当時南海は穴吹義雄監督。近鉄2軍でプレーした際、南海の2軍で穴吹監督が指揮を執っていた

 そうですね。僕ぁ、2軍でも一生懸命頑張っとったですよね。そこをやっぱ、見る人がおって。その方が1軍の監督になった時に、僕がちょうどクビになったんで、まあウチに来いっていうか。で、やらさせていただいたという、そういう感じですね。


-近鉄には投手として入団も、すぐに野手転向。後に南海で野手としてレギュラーに定着した

 まあ、そうですね、まあ運が良かったっちゅうかね。まあ当時はほんと、送りバント専門のバッターやったんで。ほとんど(成功率)10割に近いですね。


-そういうプレースタイルだった?

 そうですよ、ほんと。送りバント専門の。はい。

-そこからレギュラーをつかんでいった

 まあ、ハッハッ、打ちたいんですけど。チームに貢献するということですよね。チームに貢献しながら、まあそこ(南海)にですね、左バッターの門田さんという方がいらしてね。

-まさにレジェンドの門田氏

 もう門田さん、自分ぐらいの背の高さなのに、ボールがポンポン、ポンポン飛ぶんで。やっぱそこで、生きる教科書みたいなものですよ。打ち方を覚えていったていうね。

-背中を見て覚えた

 そうですね。まあ、打ち方とか、教えてくれないんですよ。昔の方っちゅうのは。コーチもそうなんですけど、教えてくれないんですよ、何にも。ただ、見て覚えれと。今みたいにスマホで(調べても)載ってませんからね。で、先輩もモノ言うてくれませんから。ほんと、料理人の世界ですよ、料理人。もう、ほんと。

-職人かたぎだった

 教えてくれないんですよ。コーチも監督も教えてくれないんだから。やることは殴るか、蹴るか、言葉の暴力(笑)。ほんと。その世界で育ったんで。

-今の時代なら…

 今では大変なことですよ。ほんと。アハハ…古葉(竹識)さん。(セットのついたてに半分、身を隠して)頭を半分出して(隠れている)半分のこっちは、選手(の胸ぐら)を、こうつかまえとる。

-本当ですか?

 …と、いう話です。と、言っときましょう(笑)。

-当時の南海は野村野球の影響が色濃かった?

 野村さんも現役ですけど、西武ライオンズかどっか、おったんじゃないすかね。まあ、あの、野村さんの、今でこそIDとか言うてますけど、そういう、データを、教えていく師匠みたいな形で。いや勉強になりましたですね。近鉄では精神力を鍛われ(笑)。南海ホークスで頭脳を鍛えられた。それが良かったですねえ。はい。

 野村さん、言うやないすか。「考えて野球せえ」って。考えて野球してる暇ないんですよ(笑)。ボールはピュッとくる。ね? でもそこで、考える野球を2年間ぐらい勉強したんですかね。財産になったですね。文章にして表せっていうのがちょっとできないんですよ。野村さんみたいにちょっと文章、書けないんで。

-感覚として残っている

 はい。そうですね。


-球団は南海からダイエーへ

 今度は会社(南海球団)がなくなったんですよ。会社がなくなったんで、こらぁもうビックリしましたですよ。ええ。寂しいですけど。

-球団が福岡に移転するという話を聞いた時は

 ええとですね、こんなふうに、石じゃないすけど、地面に座って、ダイエーの会社の人がずらっと並んで。

-ホークスの選手たちが地面に座っていた

 地面に座って。ネクタイしとる会社の人がずらーっと並んで。今でも忘れませんよ。あのー…ハッハッ、「今からダイエーホークスになる」と。フッフッ。

-それが最初

 まああのー、中百舌鳥(なかもず)っちゅうとこなんですけど。こっち(福岡)じゃ分からないと思うんですけど。室内練習場みたいなところがあってね。もう地べたに座っとんのは覚えてますね。しゃがんで。会社がダイエーホークスになって、福岡に移転しますと。そんな感じですよ。一言です!

-一言?

 じゃ、俺たちどんなんなるんだ!って(笑)。

-それが第一

 そうですね。もう練習どころじゃないです。まあ死にゃあせんだろう、と思ってですね。死ぬわけじゃないですけど、どんなんなんだろう…全く分からん世界ですから。ねえ。ガラッと変わったですよ。大阪からチャーター便を借りてね。

-来場者の方はご存じですか。チームの「ライブエメラルドグリーン」のジャケット。すごく鮮やかな色だった

 もう、グリーンからブルーに変わったぐらいですよね。

-南海は深緑のようなグリーンだった

 ビックリしたですよ。

-鮮やかな色のジャケットを着て、チーム全員が飛行機のタラップから降りてきた

 タカが舞い降りるっちゅう感じで。で、福岡に着いてすごいパーティーをやって。まだドーム、できる前ですから、平和台球場で。ライオンズファンばっかりですよね。当時やっぱ、西鉄ファンで。いや、そらそうですよ。もう7割方、ライオンズ(ファン)やったんですけど、そこをうまく、やっぱダイエーホークスの会社の人が、一生懸命努力して、ま、今のホークスを築いたって感じですね。はい。

-当時はライオンズが所沢に移転して約10年。西鉄が去った平和台球場はホームチーム不在の状況だった。毎年のように「どの球団を福岡に誘致するか」「どこの球団が福岡に来るか」が話題になり、ロッテが来るというウワサもあった

 まああの、ライオンズがものすごく強い時代ですよ。エースの左ピッチャー、何ていう方やったすかねぇ(笑)。まさか、その方が(ホークスに)いらっしゃるとは(笑)。

 (2につづく)

=2018/05/11 西日本スポーツ=

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