元西武・新谷博氏に聞く 夏の甲子園で最も完全試合に近づいた男だから言えること

西日本スポーツ

 今年で第100回を迎える全国高校野球選手権(8月5日開幕、甲子園)で、史上初の完全試合に「あと1人」まで迫ったエースがいる。1982年夏、当時佐賀商3年だった新谷博さんだ。1回戦の木造(青森)戦で9回2死までパーフェクト投球を続けながら、27人目の打者に死球を与え、選手権では初の快挙を逃した。現在女子野球の指導に携わっている53歳が夏の大会を前に母校を訪れ、メモリアルサマーに挑む球児に熱いメッセージを贈った。 (構成・前田泰子)

■「史上初」とは知らず…

 -史上初の完全試合まであと1人だった。

 「いつも通り投げて、いつも通り抑えている感じだった。すると6回を過ぎたぐらいからアウトを取るたびにスタンドがざわざわしてきた。なんで騒いでいるのかわからなくて(次の試合に登場する優勝候補の)池田の選手が入ってきたのかなと。自分の投球で球場全体が騒いでいたなんて、思っていなかった」

 -27人目の打者に死球を与えた。

 「サインは内角の真っすぐ。指に引っ掛かりすぎてナチュラルシュートした。相手バッターの右腕に当てた瞬間、捕手が体全体で悔しがっていて『何を悔しがっているんだよ。死球1個ぐらいで騒ぐなよ』と思った。スタンドからも地響きのような歓声が上がる中で、自分だけがしらーっとしていた」

 -大記録に挑戦しているという気持ちはなかったのか。

 「(夏の甲子園で)まだ1人も達成していないなんて知らなかった。スーパースターが集まってくる場所だから、毎年当たり前のようにすごい記録が出ているだろうと思っていた。まだ1回も達成されていない記録があるなんて考えてもいなかった」

 -後続を断ち、選手権では史上20度目(19人目)の無安打無得点試合を達成した。

 「完全試合を逃したことより、1人走者を出したことで、向こうの打線で一番当たっていた打者に回してしまったのが嫌だった。試合後の取材で記者さんから史上初というのを教えられて『え、本当ですか?』と聞き直したほど。でも、もし史上初だと知っていたら、6回ぐらいで四球を出していた。びびって。それは間違いない(笑)」

■エースはピンチでギア

 -悔しさはあったのか。

 「完全試合やノーヒッターにはそんなに価値は感じていない。投手はゼロに抑えるために投げているのであって、四球や安打を出さないためじゃない。僕は走者が出てからが本当の投球だと思っている。ピンチでギアを上げるってよく言うけど、それがエースの投球。いい投手ってランナーを二塁に背負うと、バットに球が当たらなくなる。大谷翔平やダルビッシュだってそう。いい投手はランナーが出るまで力を出さない。高校の時からそう思っていた」

 -新谷さんにとって理想の投球とは。

 「1-0の完封。特に初回に取った1点を守りきる『スミ1』完封。プレッシャーを抱えながら抑えることは価値がある。例えば9回2死から本塁打を打たれれば終わり。甘い球は投げられない。勝っているのに(気持ちが)どんどん追い込まれていく。その中で9回を投げきる精神力はすごい。結局、自分は(野球人生で)『スミ1』の完封ができなかった」

 -高校時代はどういう練習を。

 「毎日、授業が終わって部室で着替えるとトイレに逃げ込んだ。やりたくないと震えながら。最初に板谷英隆監督(1994年に死去)から1時間、1対1でノックを受けることから始まった。その後はバッテリーや主力選手だけで腹筋と背筋を1日1500~1600回。棒に足をかけて、やるにつれて1段ずつ足を上げていく。皮がむけてスライディングパンツなんか血まみれ」

 -聞いているだけでぞっとする。

 「その後、全体練習に合流してノックを受けて投球練習、打撃練習…。そして腹筋と背筋、ベースランニングと屈伸運動1800回。もう二度とやりたくない」

 -夏の大会を迎える高校生にアドバイスを。

 「今はみんな知識も豊富だし、いろんな情報もある。自分だけが努力しているわけじゃなくて自分より努力している人は世の中にいっぱいいる。その人たちに勝つためには、まずは自分に自信を持つことだと思う」

 -自信を持つためには。

 「俺が一番だ、ほかに誰が俺に勝つんだと思えるぐらい努力すること。そこまでしないと努力とは言えない。普通の高校生が圧倒的な自信を手に入れるためにはそれだけの練習量が必要」

 -敵は相手ではなく自分自身ということか。

 「野球だけじゃなく、勉強でも何でも絶対的な自信を持ってやっている時ほど楽しいものはない。不安を持ってやるより絶対に勝つと思うこと。負けるわけがないと思ってやっている時はすごく楽しい。もし僕が高校野球の監督になれば、どうやったらこの子たちが自信を持てるか考えて練習をさせる。自信を持ったもの勝ち。最高の武器ですよ。自信って」

■現在は女子を指導

 ◆新谷博(しんたに・ひろし)1964年7月14日生まれの53歳。佐賀市出身。佐賀商高から駒大、日本生命を経てドラフト2位で92年に西武入団。94年に最優秀防御率のタイトルを獲得。2000年に日本ハムへ移籍し、01年限りで現役引退。通算238試合登板で54勝47敗14セーブの防御率3.64。引退後は日本ハムの投手コーチを務めた後、06年に尚美学園大(埼玉)の女子硬式野球部監督に就任。佐賀を本拠地とするクラブチーム「佐賀魂」も立ち上げた。11年に女子日本代表監督に就任し、12年の女子ワールドカップ(W杯)で史上初の3連覇を達成した。

◆1982年夏の佐賀商

 佐賀大会は新谷が5試合で計3失点、自責0の快投。甲子園では木造(青森)との1回戦を7-0で快勝すると、2回戦の東農大二(群馬)戦は5-1で勝利。津久見(大分)との九州対決となった3回戦は延長14回の熱戦の末に2-3で敗れた。この年は「やまびこ打線」の池田(徳島)が初優勝。畠山準、水野雄仁らを擁し、準々決勝では早実(東東京)の荒木大輔(日本ハム2軍監督)を打ち崩し頂点まで駆け上がった。

◆甲子園での完全試合 春は2人達成

 夏の選手権大会で完全試合はまだ達成されていない。選抜大会では1978年に松本稔(前橋)、94年に中野真博(金沢)が完全試合を達成した。

=2018/07/02付 西日本スポーツ=

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