08年カップ戦でタイトル 経営難救った県民の募金/大分クラブ史

西日本スポーツ

 大分トリニータは2002年日韓W杯の開催地誘致と並行し、大分県主導で1994年に発足した。当時のクラブ愛称は運営の3本柱である県民、企業、行政の三位一体を意味する英語の「トリニティ」。

 県リーグからスタートして急成長し、96年にジャパン・フットボールリーグ(旧JFL)へ昇格。99年のJリーグ参入に合わせ「トリニティ」に「大分」の響きを加えた「トリニータ」に改称した。

 02年にJ2で優勝し、03年に初のJ1昇格を果たした。08年にヤマザキナビスコ・カップで優勝し九州のJクラブとして初のタイトルを獲得。同年はJ1リーグ戦で九州のクラブとして最高の4位だった。

 09年に深刻な経営難が表面化。債務超過は最大約12億円に達し、同年、7年連続で所属したJ1からJ2への降格が決まった。県民の募金などでJリーグからの借金を完済した12年にJ2で6位となり初開催の昇格プレーオフへ進出。優勝し、4年ぶりのJ1復帰を決めた。

 13年はJ1で最下位に終わり1年でJ2降格。15年の入れ替え戦で敗れてJ3へ降格した。J1経験クラブがJ3へ転落したのは大分が唯一。片野坂監督を迎えた16年に1年でJ2へ復帰、3年目の18年に自動昇格でJ1返り咲きを決めた。

 運営会社は大分フットボールクラブ。本拠地は大分銀行ドーム(大分市)。

=2018/11/17 西日本スポーツ=

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