曲折を経てつかんだプロの舞台/ホークス7位・奥村政稔

西日本スポーツ

中津商高時代に力投する奥村 拡大

中津商高時代に力投する奥村

 今秋のドラフトでホークスは支配下7人、育成4人の計11人を指名した。3年連続日本一を目指すチームに加わる平成最後のルーキーたちを紹介する。

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 曲折の野球人生を経て、ソフトバンクのユニホームに袖を通した。1992年8月14日、大分県中津市。父英行(54)と母美香(54)の間に、3500グラムで生まれた長男は政稔(まさと)と名付けられた。「強い子に育ってほしい」。英行が願った通り、困難に負けない強い男に成長する。

 幼少時は有り余る元気を持て余していた。気が付けば自宅の庭にある木の上にいたり、仏間のかもいに上がったり。走り回って柱にぶつかることも多々あった。年中どこかしらに擦り傷があったという。美香は「本当に目が離せなかった。その元気を、野球に使わせたらと」。ボールを握ったきっかけだった。

 鶴居小3年から鶴居スポーツ少年団で軟式野球を始めた。緑ケ丘中から投手に。その後、2011年3月に閉校する大分・中津商高(現中津東高)に進学した。1年だった2008年。当時九州担当だったソフトバンクスカウトの福山氏が視察した。「すごく縁を感じます」と奥村自身も振り返る。

 ただ、順風満帆とはいかない。中津商高では「最後のエース」として10年夏の大分大会に臨み初戦敗退した。九州国際大では入学前だった11年3月、甲斐や牧原がいたホークス3軍と交流試合で対戦。5回を完璧に抑えてプロに土をつけるも、2年で中退。社会人では在籍していた三菱重工長崎がMHPS横浜と統合し、三菱日立パワーシステムズ(MHPS)に移った。

 毎年のようにドラフト候補に挙がるが、近づかないプロの舞台。長崎在籍時に結婚した美月(26)との間に2016年8月に長男謙心が生まれた。現在の拠点は横浜市のため、妻子は故郷の大分に残した。「今年指名がなかったら、野球を辞めて大分に帰る」。決意して待った2018年のドラフト会議。最速154キロ右腕は7巡目に名前を呼ばれた。

 福岡県筑後市の選手寮に入寮し、プロ入り後も当面家族とは離れて暮らす。「妻にずっと一人で子育てさせて申し訳ないけど、まずはしっかりと結果を出したい」。家族3人で暮らせる日を一刻も早く迎えるために。これまでと同様に自らの右腕で切り開く覚悟だ。 (文中敬称略)

=2018/12/19付 西日本スポーツ=

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