内川に誓った“約束”果たす/ホークス育成4位・中村宜聖

西日本スポーツ

3年夏の南福岡大会に向けて練習する育成4位の中村宜 拡大

3年夏の南福岡大会に向けて練習する育成4位の中村宜

 今秋のドラフトでホークスは支配下7人、育成4人の計11人を指名した。3年連続日本一を目指すチームに加わる平成最後のルーキーたちを紹介する。

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 中村宜聖(たかまさ)は大分市の大在小6年のときにプロを意識し始めた。軟式野球の「大在少年野球クラブ」の主将として、大分出身の内川の名前を冠した「第3回内川聖一杯」で選手宣誓。「プロ野球選手になれるように頑張ります」と誓うと、「いつか一緒にやろうな」と大きな手を差し伸べられた。

 「あの時にプロになると決めた」と6年前を振り返る大型野手は、2000年7月3日に4人きょうだいの長男として誕生した。父寿博は西日本短大付高(福岡)が1992年夏の甲子園を制したときの主将。日本文理大(大分)の監督としては、2003年の全日本大学選手権で九州勢として唯一の優勝を飾った。

 アマチュア野球を知り尽くす父を持ち、自然に野球にのめり込んだ。“遊び場”は幼少時から同大のグラウンド。ボールとバットが用意され、大学生が相手をしてくれた。ただ、父から多くの指導を受けたことはない。その中で「自分の感覚を大切に」という言葉は胸に深く刻まれている。

 自宅には甲子園を制覇した際の父の写真が飾ってあった。胸に「西短」の2文字。父の母校への進学を志したのは小学2年時だった。「あのユニホームを着て、親父を超えたい」。思いがぶれることはなかった。

 西日本短大付高では1年秋からベンチ入りし、身長183センチ、体重88キロの恵まれた体から高校通算15本塁打を放った。だが、2年夏には左足に菌が入って入院するなどの故障も重なった。3年夏は南福岡大会3回戦で敗れ、甲子園の土は踏めなかった。

 今ドラフトでは育成を含め全104人中、103番目の指名だった。中学時代の硬式野球「明野ボーイズ」のチームメートで、宮崎・延岡学園高に進んだ小幡竜平は阪神から2位で指名を受けた。「自分は育成4位。(プロの)充実した環境で、いいものはどんどん吸収してはい上がるしかない」。高校で果たせなかった「親父超え」は、父も経験がないプロの舞台に持ち越された。 (文中敬称略)

 =おわり

=2018/12/21付 西日本スポーツ=

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