摂津引退 ドラフト指名漏れのち救世主…ソフトバンクの過渡期を支えた10年

西日本スポーツ

中日との日本シリーズ第3戦を制し、高山投手コーチ(中央)と握手、細川(左)とハイタッチを交わす摂津=2011年 拡大

中日との日本シリーズ第3戦を制し、高山投手コーチ(中央)と握手、細川(左)とハイタッチを交わす摂津=2011年

 昨季限りでソフトバンクを退団した摂津正投手(36)が8日、ヤフオクドームで会見し、現役引退することを正式に表明した。

 2008年のドラフトでソフトバンクから5位指名を受け、JR東日本東北から入団した。秋田経法大付(現・明桜)高から社会人に進み、3年目にドラフト指名可能となってからも指名漏れが続いており、これが6度目のドラフトのこと。当時26歳だった。

 今や直近8年で日本一5度を誇るソフトバンクながら、08年の成績はパ・リーグ最下位だった。9月初めまで2位にいながら大失速し、王監督の最終年を不本意極まりない結果で終えた。

 この年は年明け早々に斉藤和巳が2度目の右肩手術を受けていた。杉内俊哉、和田毅に続く先発の柱は2年目だった大隣憲司。ルーキーの大場翔太は完封で滑り出したが、春を過ぎて調子を落とした。

 同じく新人の久米勇紀がチーム最多の15ホールドを挙げる中継ぎ事情。抑えの馬原孝浩が右肩故障でシーズン前半を棒に振っており、11セーブにとどまりながらもチーム最多だった。

 そこへ入団した摂津は秋山新監督の下、1年目から主に7回を担うセットアッパーとして地位を確立した。当時の球団新記録となる70試合に登板。最優秀中継ぎ投手と新人王に輝いた。ブライアン・ファルケンボーグ、馬原との勝利の方程式は、おのおののイニシャルを取り、親会社の携帯電話事業にもなぞらえ「SBM」と呼ばれた。

 2年目も記録を更新する71試合に登板し、最優秀中継ぎ投手に。7年ぶりのリーグ優勝に貢献し、3年目の11年からは先発に転向した。規定投球回をクリアし、チーム3位の14勝。チームの8年ぶり日本一に貢献した。

 この年のオフにFAで杉内が巨人、16勝の和田が米大リーグへ移籍し、リーグ最多タイ19勝のD・J・ホールトンも条件面で折り合わず退団(巨人移籍)。シーズン計43勝の先発3人を失うことになった。

 迎えた12年、FAで加入した帆足和幸は左肩故障もあって登板1試合。大リーグで最多勝経験があり鳴り物入りで入団したブラッド・ペニーも、環境になじめず1試合に投げたきりで退団した。

 苦しい台所事情を支えたのが先発2年目の摂津だった。初の開幕投手を務めると、リーグ最多の17勝、勝率7割7分3厘で最優秀投手(現在の勝率第1位)。Aクラス確保(3位)の原動力となり、沢村賞にも選ばれた。最優秀中継ぎ投手と沢村賞の両方に輝いたのは、今でも摂津だけだ。

 翌13年、チームは4位に沈んだが摂津は15勝。エースとして、秋山監督の最終年だった14年、工藤監督が就任した15年にかけてのリーグ連覇、2年連続日本一に貢献した。

 5年連続の開幕投手を務めた16年はシーズン2勝と苦しみ、5年続けていた2桁勝利が途切れた。17年はプロ入り後初の0勝、18年は2勝。そして退団し、現役引退を決断した。

 「入団した時、すごいスター選手ばっかりで…。松中さん、小久保さんがいて、杉内さん、和田さん、(斉藤)和巳さんがいて。とんでもないところに入ったな、と。今でも記憶に残っている」。引退会見で入団当時を思い起こした摂津は、現役10年間を振り返り「うまくいきすぎたんじゃないかと思う」と話した。

 自身がエースとして奮闘していた間、ファームで力を蓄えていた東浜、育成出身の千賀が現チームの柱となった。「活躍した部分もあるし、ここ最近はダメだった。いろんな選手の気持ちになって、物事を考えられるようになったのかな」。26歳でプロ入りしてから過ごした10年間の濃密さが、集約されていた。

=2019/01/09 西日本スポーツ=