元ソフトB柴原洋さん国境超えた野球愛 APU部員とスリランカで指導

西日本スポーツ

 国境なき野球愛-。福岡ソフトバンクの外野手として活躍し、現在は本紙評論家の柴原洋さん(44)=九共大特別客員講師=がこのほど、大分県別府市の立命館アジア太平洋大(APU)の硬式野球部員16人とスリランカを訪れ、野球を通じての国際交流を行った。2020年東京五輪で3大会ぶりに復活する野球・ソフトボールが、24年パリ五輪の追加種目候補の選定で落選。競技関係者に失望感が広がる中、情熱あふれる指導で現地の子どもたちと白球を追い、あらためて魅力を語った。 (構成・西口憲一)

■響く「ホンダイ」

 スリランカには「光り輝く島」の意味があるそうだ。インド洋に浮かぶ小さな島ではたくさんの“野球小僧”が目を輝かせていた。滞在2日間のうち初日はキャンディという場所で野球教室を開いた。12歳から16歳ぐらいまでの80人と接した。 同国で一番の人気スポーツは、英連邦諸国で盛んなクリケット。テレビ中継もあり、学校の体育の授業でも取り入れられている影響もあるのだろう。野球と同様にバットとボールを使う競技であるためか、投げる、打つ、捕るといった動きは予想以上にできていた。

 彼らがクリケットではなく、野球を選んだ理由は純粋に大好きだからだ。ただし、その大好きな野球を思い切ってやれる環境ではない。指導者の数が少なく、何が正しくて何が間違っているのかを教えられていない。

 キャッチボールのリリースポイントや打撃のミートポイントなど、助言一つで投げるボールや打球が明らかに変わった。私はスリランカの言葉で「ナイス!!」を指す「ホンダイ!!」と声を掛けた。すると、子どもたちは喜んで、もっとやろうとする。足や腕の正しい使い方を覚えると体に負担がかからず、楽にプレーできる。面白くなる。

 私自身がそうだった。小学校6年生のとき。地元(北九州市)で名球会の野球教室があり、長嶋茂雄さんと堀内恒夫さんがやってきた。投手だった私がブルペンで投げていると、堀内さんに「君はいい投げ方をしているね」とほめられた。元巨人のエースの方だと知り、大感激したのを思い出す。だから、私は野球教室では必ず、子どもたちの長所を見つけて指摘することを心掛けている。

 スリランカでは指導者だけでなく、野球道具も圧倒的に不足している。1個のグラブを交代で、ぼろぼろになるまで使っている。今回、日本から多くの方々の善意が寄せられ、その代表のつもりで企画に参加させていただいた。現役時代に使用したボールも120個寄付した。何もぴかぴかの新品は必要ない。家に眠っているような物でも十分、喜んでもらえる。

■JICAも助力

 野球教室では言語の壁がある中、国際協力機構(JICA)の隊員の方にも助けていただいた。24歳の高野光一さんと西尾高広さん。元球児で日本では女子野球の指導や審判の経験もあると伺った。任期は2年。JICAは2000年代前半から野球隊員を派遣しており、西尾さんも「野球を極めたい」とスリランカ行きを決断したという。彼らによると、スリランカにはスポーツ用具店がない。そもそも道具を作る人がいないし、修繕する人もいない。グラブのひももなく、切れたら、サッカーのゴールネットを代用したりしている。

 最後にロングティーを打たせてもらった。大好きな野球をずっと続けてほしい、と願いを込め「一球入魂」でバットを必死に振った。「遠くに、強い打球を飛ばせば、楽しいんだぞ」と伝えたかった。5月で45歳。ギータ(柳田悠岐)みたいにはバットを振れなかったけれど、歓声が沸いたのには感動した。アンコールが続き、いつまでたっても、やめさせてもらえなかったけれど(笑)。

 プロで現役を15年やらせていただき、自分なりに「野球人」としてのプライドを持っていたつもりだった。でも、APUの学生やJICAの隊員のようにプロ野球選手ではなくても志を抱き、他国の子どもたちと純粋に向き合っている「野球人」がいることを知った。

 パリ五輪で再び外れたように、欧州では野球への関心が低く「万国共通のスポーツ」とは言い切れないのかもしれない。だからこそ、スリランカでこうして小さな種をまき、育てている活動は意義がある。スリランカの子どもたちは「お願いします!」と礼を欠かさず「ありがとうございました!」と礼で締めくくっていた。学びたい、上手になりたいという何よりの熱意の表れだ。今回自分なりに一歩を踏み出して、あらためて分かった。野球に国境はない。 (西日本スポーツ評論家)

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■ボール7000個、グラブ395個、バット700本寄付

 今回の活動を企画したAPU硬式野球部の代表、柴垣聡太朗さん(新3年)=北海道・北海高出身=の帽子のひさしの裏には「笑顔」と書かれていた。「子どもたちが喜ぶ顔を一人でも多く見たい」と野球教室の合間を縫って、ひもが切れてしまったグラブを修繕。覚えたてのスリランカの言葉を駆使してコミュニケーションを図った。海上コンテナのほか、飛行機の手荷物で自ら運び込んだ野球道具はボール7000個、グラブ395個、バット700本。主将の林知輝さん(新3年)=福岡・筑陽学園高出身=も「(活動費の)募金活動で善意を寄せてくださった方々、大切な思い出の野球道具を寄付してくださった方々。いろんな方々との『つながり』があったからこそ実現できた」とうなずいた。部員たちは寄付の呼び掛けや受け付けの窓口になるなど活動を支援したRKB毎日放送(福岡市)をはじめ、多くの関係者に感謝の意を表した。

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■スリランカの野球事情 02年から交流、12年に初の野球場 尽力のスジーワさんセンバツ審判も経験

 スリランカと日本の野球の絆は2002年にJICAから派遣された日本人コーチの植田一久さんが指導を始めたことで徐々に深まっていった。両国の国交樹立60周年を記念し、12年には南アジア初の野球場「ジャパン・スリランカフレンドシップ・ベースボールグラウンド」がスリランカ最大の都市コロンボに完成。神奈川県の高校選抜チームが遠征して、現地のチームと試合を行った。

 同球場の建設を計画し、資金集めなどにも尽力したスリランカ人のスジーワ・ウィジャヤナーヤカさんは、日本でアマチュア野球の審判員としても活動。15年の選抜高校野球大会では、海外から来た外国人では極めて異例のジャッジを務め話題となった。

 スリランカは西アジアカップで初優勝を飾った17年、アジア選手権(日本、韓国、台湾など7カ国・地域が参加)に初出場。優勝は日本でスリランカは7位だった。18年には宮崎県で開催された18歳以下によるU-18アジア選手権に出場。藤原(ロッテ)、根尾(中日)、小園(広島)らを擁した高校日本代表に0-15の6回コールド負けを喫したが、最後まで諦めないプレーを披露した。

 スリランカはインドの南に位置する人口約2100万人の島国(面積は北海道の約0・8倍)で野球の競技人口は約5000人。陸軍や海軍のチームやクラブチーム、今回の交流で柴原さんやAPUの学生が指導したスクールのチーム、大学がある。世界野球ソフトボール連盟(WBSC)が18年に発表した野球の世界ランキングは日本が1位、スリランカは41位。

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■留学生3000人在学

 APUには現在89カ国・地域の留学生約3000人が在学している。硬式野球部は九州地区大学野球連盟に加盟しており、現在は北部九州ブロックの2部。野球交流は同部に所属していたスリランカ人留学生の呼び掛けで始まり、2015年と17年には現地に野球道具を届けた。同年にはスリランカの学生が大分を訪れ、親善試合を行った。交流は今回で4回目。スリランカ人留学生の部員、ラクシャン・ディサナヤカさん(新4年)は1回目の交流が行われた15年、現地の学生として活動を目の当たりにして感動。将来は国際貿易の仕事に就く夢があり「こういうプロジェクトを実現できる大学で野球をやりたい」とAPUに入学した。今回は同部の一員として故郷に“里帰り”し、感無量の様子だった。

=2019/02/28付 西日本スポーツ=

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