バスケ界のシンデレラに 21歳永田萌絵、高校時代から一変インカレV2

西日本スポーツ

■今月末に開催国枠可否決定

 バスケットボール女子日本代表として昨夏のジャカルタ・アジア大会で活躍した東京医療保健大のフォワード永田萌絵(3年)=長崎商高出身=が「シンデレラ」になる。ひのき舞台とは無縁だった高校時代から一変、昨年末の全日本大学選手権(インカレ)で最優秀選手賞に輝くなど2連覇の原動力になった。日本が東京五輪の開催国枠で出場できるかどうかは今月末に決まる予定。大学生で2人しか選出されなかったアジア大会で自信を深めた21歳が夢のコートで主役を狙う。 (西口憲一)

■将来はPGで

 本人いわく「よく親戚に間違われる」という。バスケットボール女子で「永田」と「長崎出身」の二つのワードがそろえば、エースとして1996年アトランタと2004年アテネの両五輪で「日の丸」を背負った永田睦子さん(42)を連想する人も多いだろう。実際は赤の他人ながら、大黒柱の“系譜”を襲名する資格は十分にある。

 女子日本代表アシスタントコーチも兼ねる恩塚亨監督(39)は「(成功する選手の)モデル」と言い切る。身体能力を生かした鋭いドライブや華麗なボールハンドリング。視野の広さに加え、銅メダルを獲得したアジア大会では香港戦で両チーム最多の23点を挙げるなど爆発力もある。でも、最大の武器は苦境を打破する「鉄の意志」だ。

 愛知学泉大を85-76で破った昨年12月のインカレ決勝。第4クオーターに自身四つ目のパーソナルファウルを取られた。それでも頑としてベンチに下がらなかった。「最後までコートに立つ、その一心だった」。退場まで、あとファウル1個という土俵際にもプレーの“強度”を落とさず、ファウルぎりぎりのディフェンスで逆に相手からオフェンスファウルをもらうことに成功。恩塚監督が振り返る。「いい選手は永田のように自分の意志でコートに立っている。顔を見れば分かる」

 東京医療保健大の部員は20人(入学予定者を除く)と多くはない。卓越した情報収集力と行動力で女子日本代表の強化も担当する恩塚監督の指導の下、学生スタッフを含めた手厚いサポート態勢を敷く。「道筋立てた考え方や1対1のスキルなど、いろんなことを教えていただけるので日々楽しい」。永田も大学で能力を開花させた一人だ。

 世界ランキング10位の女子が東京五輪に開催国枠で出場できるかどうかは、今月末に開かれる国際バスケットボール連盟(FIBA)の理事会で決まる。大学卒業1年目で迎える20年。「外からのシュート力を上げて、将来は(司令塔の)ポイントガード(PG)として周囲を生かすような選手になりたい」。脳裏に未来の自分の姿を描きながら、好きな言葉「自信」を積み重ねる。

◆永田萌絵(ながた・もえ)

 1997年6月20日生まれ。長崎県佐世保市出身。春日小4年から競技を始め、清水中で長崎県4強。長崎商高では2、3年時に国体出場を果たしたが、全国高校総体(インターハイ)や全国高校選手権(ウインターカップ)には出場できなかった。3年時に2015年の女子U-18(18歳以下)日本代表候補に選出。東京医療保健大では2年からレギュラー。最終学年の今年は主将を務める。173センチ、64キロ。

■センター藤本はアスリート一家 母は元バレー代表 父は元オリ選手

 永田の他にも注目選手は多い。179センチの長身センター藤本愛妃(3年)は愛知・桜花学園高出身で、17年のユニバーシアード女子日本代表の実力者。父の俊彦さんはプロ野球、元オリックスの選手で、母の美加さん(旧姓山内)はバレーボール女子日本代表として五輪に2度出場した。アイドル系の容姿から「学生バスケ界屈指の美人プレーヤー」とも呼ばれる。宮崎・小林高出身のセンター加治屋千遥(2年)は、北九州市の折尾中から東京成徳大高を経て入学したPGの木村亜美(1年)とともに下級生時から出場機会を得るなど期待されている。

■39歳指揮官 米国の名将から指導法学ぶ 06年創部最初は部員わずか5人

 2006年創部の東京医療保健大は関東大学女子リーグ4部からスタートした。最初の部員は初心者3人を含む5人。恩塚監督は「練習量を増やすのにファミレスで2時間説得したこともあった」と懐かしむ。自身は選手として目立った実績もなかったことから、勧誘で高校を回ってもほとんど相手にされなかった。

 「選手が熱い気持ちで打ち込める環境を提供したい」。学生時代からコーチングを勉強していたといい、指導者となってからは有望選手の獲得に躍起になるのではなく「成長できる場をつくること」を第一に心掛けた。

 「本気で学ぶならベストな人から学ぶこと」。3大会連続で米国の男子に五輪金メダルをもたらし、全米大学体育協会(NCAA)の強豪、デューク大監督でもある名将のマイク・シャシェフスキー氏に教えを請うた。13年のこと。手紙を手渡して関係を深めた。「自分への投資」と、今年2月上旬には米国のビラノバ大を訪問。映画「ラストサムライ」を見せて選手の士気を高揚させるという同大学のコーチから「私は刀の上で死ねるが、君はどうだ?」と問われ、指導に必要なのは「情熱」と確信した。

 日本バスケットボール協会の関係者は恩塚監督を「一流選手から指導者というパターンではなく、米国式のキャリアを積んでいる。カテゴリーを問わず、さまざまな指導者から支持されている」と評する。年明けに都内で開催されたセミナーには、中学や高校の監督から将来の指導者を目指す学生まで約150人が恩塚監督の戦術解説に聞き入った。東京医療保健大を躍進させた39歳の求心力は高まるばかりだ。

◆恩塚亨(おんづか・とおる)

 1979年6月5日生まれ。大分県出身。大分・中津南高から筑波大を経て2002年に千葉・渋谷教育幕張高の教員となり、指導者の道を歩み始める。東京医療保健大は創部した06年から率い、スタッフとして女子日本代表の強化にも尽力。その間に早大大学院に通いながら修士の学位を取得した。17年に同代表のアシスタントコーチに就任した。

=2019/03/08付 西日本スポーツ=

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