父が見た「言い訳小僧」の悔し涙【マラソン井上大仁の素顔】

西日本スポーツ

中学時代に駅伝大会で走る井上(左)(家族提供) 拡大

中学時代に駅伝大会で走る井上(左)(家族提供)

アジア大会男子マラソンで、金メダルを胸に日の丸を掲げる井上 井上が早朝に走っていた自宅近くの坂道 プールで練習するもなかなか泳げなかった井上(手前右)。左は父の正文(家族提供) 思い出を語る井上の父正文(左)と母康子。手前は大学進学前に井上が作ったカモシカの折り紙

 9月に行われるマラソン代表選考会「グランドチャンピオンシップ(MGC)」の国内選考レース「MGCシリーズ」が10日に終わるなど2020年東京五輪の足音は確実に近づいてきている。そのマラソンの男子で評価を高めているのが井上大仁(26)=長崎・MHPS=だ。昨夏のジャカルタ・アジア大会では日本人として32年ぶりに優勝するなどタフさと安定感を併せ持つ。国内屈指のランナーは運動音痴な「か弱い坊ちゃん」だったが、父正文(53)と母康子(57)は「負けず嫌いで、我慢強かった」と思い出す。両親が井上の“成長記”を振り返る。 (末継智章)

■運命変えた母のひと言

 家族で箱根駅伝を見ていたとき、康子が軽い気持ちで放ったひと言が大仁の運命を変えた。

 康子「2005年正月。中学進学が迫った大仁はサッカー部に入りたがっていた。そんな大仁に『見てごらん。箱根駅伝で走ったら、ずっとテレビに映るよ。サッカーだと一瞬しか映らないよ』と勧めた。足が速いからじゃない。共働きなので、サッカー部に入ると送迎が大変。陸上だったら諫早の競技場まで近いので楽と思った」

 大仁は幼少期から気管支が弱く、食も細かった。1歳上の姉優希と入ったドッジボールのチームでは、控え組のBチームでも補欠。康子の実家近くにあるプールで練習しても泳げなかった。ただし、人一倍の我慢強さを持っていた。

 康子「小学1年生のとき。自宅近くの神社にあるブランコでおなかを打つ。泣かずに帰ってきたけど、顔は真っ青。病院で『内臓破裂の恐れがあります』と言われた。結局、打ち身だけで大丈夫だったけど。怒られると思うことをしたときは泣かなかった」

 我慢強さは地道な走り込みで生き、才能開花の礎となった。正文が新聞販売店を営む知人に頼まれ、新聞配達を手伝うと、大仁も協力を申し出た。配達地域は坂道ばかり。車で配れない細道を上って配る日課は、高校を卒業するまで続けた。

 正文「中学1年の12月から始めた新聞配達。大仁のペースはだんだん速くなり、息が上がらなくなった。最初は70軒ほどを40分かけて配っていたけど、最後は130軒ほどを45分ぐらいで配り終えた。配達を終えたら近くの小学校の校庭をランニング。朝4時に起きなければ放置するつもりだったけど、しっかり起きて手伝ってくれた」

■「五輪」以前に望むもの

 鎮西学院高(長崎)に進学し「世界レベルの選手になる」と目標を立てた大仁。両親は今でこそ有名になった負けず嫌いについて周りに言われるまでその印象がなかったという。高校で負けるたびに言い訳をし、入江初舟(はっしゅう)監督から「言い訳小僧」というあだ名を付けられたのも理由の一つだった。ただし、正文は一度だけ見た息子の悔し涙に思い当たる節があった。

 正文「山梨学院大3年のときの箱根駅伝。2区のオムワンバ(現MHPS)が右脚を疲労骨折し、途中棄権。大仁はオープン参加として山上りの5区を走った。芦ノ湖の往路ゴールに着くと、膝から崩れ落ちて顔を上げない。最初は寂しそうな涙。だから『これで終わったんじゃなかろうが。明日(復路を)走る人間もおるから応援をせないかんし、悔しかったら来年頑張れ』と叱った。そうしたら涙をこらえて、こっちを見た。この子は意地がある」

 翌年の箱根駅伝。チームは1区で最下位の20位と出遅れたが、大仁が3区で区間3位と力走。往路で13位まで巻き返す原動力となり、復路で逆転のシード権を獲得した。

 MHPSに入社した後、マラソンで頭角を現し、17年の世界選手権に出場。昨年はジャカルタ・アジア大会を制した。ただ、両親が現地で息子のマラソンを応援したのは初挑戦した16年のびわ湖毎日だけだ。

 正文「初マラソン。レース後半に寒くなったせいか、ゴールしたどの選手も生まれたばかりのカモシカのように脚ががくがくしていた。大仁も日本人7位で悪くはなかったけど、表彰台では横からスタッフに支えられていて…。マラソンってこんなに厳しいのか。息子のこんな姿は見たくない」

 五輪まで残り500日。3枠あるマラソン代表のうち、9月のMGCでまず2枠が決まる。正文は五輪切符以前に納得のいくレースを望む。

 正文「先頭につき、ラストで少し抜くという、よくある勝ち方に執着してほしくない。正々堂々と勝負し、負ければ相手が強いと認め、自分に足りないものを見つけて強くなってほしい」

 大仁(ひろと)という名には身も心も広く大きく、人のためになる子に育ってほしいという願いが込められている。マラソンでもそんなレースを望んでいる。 (文中敬称略)

■実家に飾られる「カモシカ」 手先器用 折り紙は今も趣味

 大仁が今も趣味にしている折り紙について、両親がルーツを語った。幼少期に康子の叔母から誕生日プレゼントで贈られた折り紙の本がきっかけ。近所にいた通称「折り紙おじさん」から干支(えと)にちなんだ動物の作品などをもらうと「僕の方が折れる」とさらに発奮し、難しい作品に挑戦するようになった。

 「うちはおもちゃを買わなかったけど、段ボールをぐるぐる巻いてロボットをつくるほど器用だった。夫が大村工高出身だから、一緒の高校に行って大工になればという話もしていた」と康子。山梨学院大に進学する直前に折ったというカモシカの作品は、実家で大切に飾られている。昨夏のジャカルタ・アジア大会でユニホームに穴を開けて通気性をよくし、暑さを乗り越えた井上。手先の器用さは戦いの場でも生かされている。

=2019/03/12付 西日本スポーツ=

PR

最新記事

PR

注目のテーマ