イチロー「妻に3000個握らせてあげたかった」一問一答3
マリナーズのイチロー外野手(45)が21日、開幕2戦目のアスレチックス戦(東京ドーム)後に東京都内のホテルで記者会見し、引退を表明した。日米通算4367安打(日本1278、米国3089)。一問一答は以下の通り。(3)
-8回に交代してベンチに戻った際、菊池が号泣して…
いや号泣中の号泣でしょアイツ。いやもう、ビックリしましたよ。いや、それ見て、こっちはちょっと笑けましたけどね。
-どんな会話を
いやあ、それはプライベートなんで。
そりゃ雄星がそういうことをお伝えするのは構わないですけど、ただ、それは僕がお伝えすることではないです。まあ、そりゃそうでしょ。2人の会話だから。しかも僕から声を掛けているので、それをここで僕が、「こんなこと僕は言いました」って、バカですよね。絶対信頼されないもんね、そんな人間は。それはダメです。
-米国のファンへのメッセージは
いや、アメリカのファンの方々は、最初はまあ厳しかったですよ。それはもう、最初の2001年のキャンプなんかは「日本に帰れ」って、しょっちゅう言われましたよ。結果を残した後の敬意というのは…うーん、まあ、これを評価するというのかどうか、分からないですけど。手のひらを返すという言い方もできてしまうので。ただその、言葉ではなくて、行動で示したときの敬意の示し方っていうのは、その迫力はあるなっていうような印象ですよねー。
だから、なかなか入れてもらえないんですけど、入れてもらった後、認めてもらった後は、すごく近くなるというような印象で。ガッチリ、こう、関係が出来上がる。シアトルのファンとは、それができたような…ま、それは僕の勝手な印象ですけど。
で、まあ、ニューヨークっていうのは、まあ、厳しいとこでしたね。でも、やれば、それこそ、どこよりも、どこのエリアの人たちよりも、熱い思いがある。マイアミっていうのは、ラテンの文化がこう、強い印象で。その「圧」はそれほどないんですけれど、でも、結果残さなかったら絶対に人は来てくれないっていう。そんな場所でしたね。
それぞれに特色があって、面白かったし、それぞれの場所で関係を築けたような。特徴がそれぞれありましたけど。なんか、アメリカは広いなあっていう風な。その、ファンの人たちの特徴を見るだけで、アメリカはすごく広いなあっていう印象ですけど。
まあでもやっぱり、最後に、シアトルのユニホーム着て、セーフコフィールド(現Tモバイル・パーク)ではなくなってしまいましたけど。姿をお見せできなくて。それは、申し訳ない思いがあります。
-ユニークなTシャツがよく話題になったが、心情を表していたり、アピールしたいことがあったか
そこは、もう、言うと急にやぼったくなるから。それは言わない方がいいんじゃないすかね。だから、見る側の解釈だから。そう捉えれば、そう捉えることもできるし。全然、関係ない可能性もある。だって、そういうものでしょう。いちいちそれ、説明してたらほんと、やぼったいもんね。
-その方が粋だということ
まあ粋って自分で言えないけど。まあ言うと無粋であることは間違いないですよね。はい。
-支えてくれた弓子夫人への思いは
いやあ…う~ん、頑張ってくれましたねえ。一番、頑張ってくれたと思います。僕はアメリカで結局、3089本のヒットを打ったわけですけど。妻はですね、およそ…僕、ゲーム前にホームの時は、おにぎりを食べるんですね。まあ妻が握ってくれたおにぎりを球場に持っていって食べるわけですけど、その数がですね、2800ぐらいだったんですよ。
3000、いきたかったみたいですね。そこは、うーん…3000個、握らせてあげたかったなと思います。妻もそうですけど、まあ、まあ、とにかく頑張ってくれました。これは、僕はゆっくりする気ないですけど、妻にはゆっくりしてもらいたいと思ってます。
まあそれと一弓ですね。一弓というのは、ご存じない方もいらっしゃると思いますけど、わが家の愛犬ですね。柴犬なんですけど。現在17歳と何カ月だ、7カ月。今年で18歳になろうかという、柴犬なんですけれども。さすがにですね、おじいちゃんになってきて、毎日フラフラなんですけど、懸命に生きてるんですよね。その姿を見てたら、それは俺、頑張らなきゃなって。これはもうジョークとかではなくて、本当に思いました。懸命に生きてる姿。うーん。
2001年に生まれて、2002年にわが家にきたんですけど。シアトルのわが家に来たわけですけど、まさか最後まで一緒に…僕が現役を終えるときまで、一緒に過ごせるとは思っていなかったの、これは大変、感慨深いですね、一弓の姿っていうのは。
まあもう本当、妻と一弓には、うーん…もう感謝の思いしかないですね。
-技術論を聞くのは恐縮だが、打席内での感覚の変化は今年は何かあったか
聞く? それ。ここで。言う? 裏で話すわ。後で(場内:笑)。
-ポスティングシステムでの米大リーグ移籍、WBC出場、マリナーズとの契約延長、ヤンキースへのトレード移籍などあったが、今までで1番、考え抜いて決断したものは何か
うーん…これ、順番つけられないですね。それぞれが1番だと思いますんで。うん。ただまあ、アメリカでプレーするために…まあ当時、今とは違う形のポスティングシステムだったんですけど。まあ自分の思いだけでは当然それは、かなわないので。まあ当然、球団からの了承がないといけなかった、いけないですね。
じゃあそのときに誰を、こちら側…こちら側って言うと何か敵味方みたいでおかしいですけど。球団にいる誰かを、口説かないといけない。まあ説得しないといけない。その時に、一番に浮かんだのは、仰木監督ですね。
で、その何年か前から、アメリカでプレーしたいという思いは伝えていたということもあったんですけど。何か、仰木監督だったらおいしいご飯で、お酒飲ませたら…飲ませたらってこれは、あえて言ってますけど、これはうまくいくんじゃないかと思ったら、まんまとうまくいって(場内:笑)。
これは…これがなかったら、何にも始まらなかったので。口説く相手に仰木監督を選んだのは、大きかったなあと思いますね。また、ダメだ、ダメだっておっしゃっていたものが、お酒でこんなに変わってくれるんだって。まあ、お酒の力をまざまざと見せられましたし。でもやっぱり、しゃれた人だったなーと思いますね。だから仰木監督から学んだもの、うん、計り知れないと思います。
-この会見を開いた日付は、第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本代表が優勝した日(日本時間)だった
あ、まあ聞かされれば、そう思うこともできるという程度ですかね。僕はそのことは知らなかったですけど。
-現役生活で一番、我慢したこと、我慢したものは何か
難しい質問だなぁー。僕、我慢できない人なんですよ。我慢が苦手で、楽なこと、楽なことを重ねている感じなんですね。自分ができること、まあ、やりたいことを重ねているので。もう我慢の感覚はないですけど。だからもう、とにかく体を動かしたくてしょうがないので。もう、体をこんなに動かしちゃダメだって言って、その、体を動かすことを我慢するっていうことは、たくさんありました。
それ以外はなるべくストレスがないような。まあ自分にとってですね。ストレスがないように、という風に考えて、まあ行動してきたつもりなので。家では、妻が料理をいろいろ考えて、作ってくれますけど、これ、ロードに出ると、何でもいいわけですよねえ。多分、むちゃくちゃですよ、ロードの食生活は。だからもう、我慢できないから、そういうことになってしまうんですけど。
でもそんな感じなんです。今聞かれたような趣旨の我慢は、思い当たらないですね。おかしなこと言ってます?(場内:笑)
(台湾メディアからの質問で)-台湾にもイチロー選手のファンは多い。台湾に行きたいとか、そういう気持ちはないか
チェン(・ウェイン)が元気か知りたいですね。チェン、チームメートでしたから。チェンは元気にやってますかね?
-元気です
そうですか。ああ、じゃあそれが聞けて何よりです。
-台湾に行く予定はないか
今のところ予定はないですけれども。
-ぜひ来てください
でも以前に行ったことあるんですよ。一度。すごく、優しい印象でしたね。心が優しい。優しくて、何か、いいなあと思いました。
=2019/03/22付 西日本スポーツ=