移籍に奔走した母が急逝…その時、兄弟は【バスケ比江島の素顔】

西日本スポーツ

 バスケットボール男子の日本代表に2020年東京五輪で開催国枠が与えられ、44年ぶりの出場が決まった。決め手となった13年ぶりのワールドカップ(W杯)出場に貢献したのが、アジア2次予選で得点源として活躍した比江島慎(28)=B1栃木、福岡県古賀市出身=だ。最大の理解者だった母、淳子が昨年4月に57歳で急逝した後、兄の章(31)が代理人としてサポート。天国の母に五輪で活躍する姿を届けるため、兄弟が固い絆で大舞台へと突き進む。(末継智章)(文中敬称略)

■中3で183センチ

 3歳下の弟が日本を代表するシューターになるなんて、章は思っていなかった。

 「慎が6歳のとき、僕と同じ古賀ブレイスに入ってきた。練習がないときも、住んでいた団地近くの公園にあったリング状の遊具や、近所のコーチの家にあったゴールで1対1をした。正直、自分の方がうまいとしか思っていなかった」

 物心ついたときから母子3人家族。清掃業を営む母は働きづめで、章は3歳下の慎の面倒を見ていた。2人で遊ぶとき、弟の集中力と探求心に目を見張っていた。

 「当時は遊戯王というカードゲームがはやっていて、遊ぶうちにどんどんうまくなって。2人で対戦したら負かされて、よく怒っていた」

 慎は低学年のときから兄のプレーを見ながら、隣のコートでシュートまで持ち込むステップを練習していた。小学3年からレギュラーになり、6年のときに全国大会へ出場。卒業すると県内で強豪だった百道中(福岡市)への入学を願い出た。

 「最初は驚いたけど、家族会議の末に全員で福岡市内に引っ越すことにした。朝練習もあり、朝5、6時に家を出ることになってかわいそうなので。福岡工大城東高への進学を決めていた自分は遠くなるけど、弟のためを考えたら引っ越した方が良いと思った」

 中学3年になった慎は身長が183センチまで伸び、高校3年の章を抜いた。全国中学校大会にも出場して3位。京都・洛南高への進学を申し出て、ウインターカップで3連覇を果たし、章の弟に対する見る目が変わった。

 「それまでは応援したい気持ちと、悔しい気持ちが半々だった。でも高校から県外に出て挑戦し、結果を残し続けた。自分がやれなかったことをやってのけ、素直に応援するようになった」

 ちょっとうまい弟という感覚だった章に衝撃を与えたのが、慎が青山学院大4年だった全日本選手権3回戦のレバンガ北海道戦だった。約1カ月前の全日本大学選手権決勝で田中大貴(現A東京)=長崎県雲仙市出身=率いる東海大に敗れた悔しさを発散するかのようにチーム最多の28点をマーク。旧日本バスケットボールリーグ(JBL)に所属していたプロクラブに93-81で完勝した。

 「自分の中ではプロと大学の間には絶対的な差があると思っていた。向こうには外国人選手もいた。その中で大暴れ。こいつだったらエースとして日本を支えてくれるのではと思った」

■訃報から10日で復帰

 慎の大学卒業と同時に、母淳子がマネジメント会社を設立。慎の契約交渉やスケジュール調整、グッズ販売といった実際の業務は淳子が請け負い、別の会社に勤めていた章も手伝った。

 「当初、母は清掃業との掛け持ちだったけど、海外の日本代表戦も応援しに行った。フィリピンやセルビア、ラスベガス…。だいたい体調を崩してホテルで寝込んでいたけど、それでもまた見に行っていた」

 2017年ごろから慎がオーストラリアへの海外移籍を希望すると、淳子は慎が当時所属していたB1三河の関係者や知り合いの記者、代理人に声をかけてオーストラリア・リーグの情報を収集。移籍先を探していた途中の18年4月21日、突然の病で亡くなった。悲しみに暮れた2人だが、約10日後に試合へ復帰した弟の気丈さを見て章も奮い立った。

 「『おれもう大丈夫やけん、きつくなるけど頑張って』と言ってくる姿に尊敬した。あいつが頑張っているから、自分も頑張ろうと。母親が残した最後の仕事を実らせようと思い、会社を辞めて業務を引き継ぎ、18年夏にオーストラリアへの移籍を実現させた」

 2人で直接、東京五輪への思いを話したことはないが、弟の熱い思いは痛いほど知っている。

 「昨年のW杯予選が始まったときぐらいからインタビューで言いだしたし、福岡に帰ると友達に話していた。何があったのかは分からない。でも16年のリオデジャネイロ五輪最終予選でチェコに負けた時から、思うものはあったみたい。今夏のW杯1次リーグでチェコと対戦が決まったとき、運命を感じた」

 母が付けたマネジメント会社の名は「ステラリアン」。イタリア語で星を意味するステラと、フランス語で絆を表すリアンを合わせた。五輪出場を目指し、家族の絆で進んできた比江島家。章にはもう一つ目標がある。

 「慎は若いころからNBAに行きたいと言っていた。米国でもオーストラリアでも欧州でもいい。もう一度海外挑戦できるよう、手助けしたい」

【事務所の所在地は福岡】

 章はマネジメント会社の事務所を福岡市に構える。「地元の福岡が好きなのと、東京じゃなくてもできるところを見せたくて。福岡はアジアの玄関口。海外を見据えてもやっていけると思い、こだわっている」。福岡と慎が所属する栃木を頻繁に往復しながら、弟の活躍を支えている。

=2019/04/20 西日本スポーツ=

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