ボートレーサー124期生5月デビュー 九州、山口勢8選手紹介 新時代へいざ発進

西日本スポーツ

 3月20日に「ボートレーサー養成所」(福岡県柳川市)で修了式を行った124期生が5月から全国各地でデビュー戦を迎える。入所者数52人のうち、1年間の厳しい訓練を耐え抜いた修了者25人(男子20人、女子5人)が、希望を胸にボートレーサー人生を歩み始める。同日に行われた養成所チャンプ決定戦には、郷土勢から唯一出場した末永和也(20)=佐賀支部=が、逃げ切り優勝。その末永を筆頭に8人の郷土勢を紹介する(福岡5人、佐賀1人、長崎1人、山口1人)。 (橋口文子)

▼末永和也(佐賀) けが克服しチャンプ 

 124期の養成所チャンプの末永和也(すえなが・かずや)は、幼少の頃から、からつボートでレースに親しみを抱き、自然にレーサーという職業に憧れた。養成所へは2回の受験で合格。リーグ戦では第3、4戦で優勝。教官からも「どんなエンジンでも乗りこなす。プレッシャーにも強く、内に秘めた闘争心も持っており将来性を感じる」と高い評価を受けた。

 ただ、その訓練も順風満帆だったわけではない。訓練中の複数旋回で事故。顔面を骨折するという大ケガを負い、約2週間の入院を余儀なくされた。「入院中には、毎日訓練に参加できる環境はすごくありがたいんだな、と改めて感じた」。退院後はその遅れを取り戻すため「考えて操縦することを意識した」。その結果、レース展開を読む力がつき、さらに成長を遂げた。

 目標は同じ佐賀支部の峰竜太選手。将来は「SGタイトルを取る」ことを目指す。そして常にトップを走り続ける峰に、いつかは追いつけるようにデビューから全力で走る。

▼本村 大(長崎) 大村を背負う存在に

 逆から読んだら“大村本”。名前の中に、地元大村ボートの名前を持つ本村大(もとむら・だい)は、大村を背負う存在になりたいとレーサーを志した。「大村のチャレンジカップ(2011年)を見た時に、地元の選手が誰も出ていなかったのが悲しかった」。その時に本村の気持ちは固まった。

 幼少の頃から父がボートレースが好きだったこともあり、ボートレーサーという職業には憧れていた。養成所へは2度目の試験で合格。養成所での生活は171.2センチという高身長のため、「減量が大変だった」と振り返るが、それを乗り越えられたのは同じ苦労をともにする同期がいてこそ。「トレーニングやサウナなど、減量のために同期のみんなと頑張った」。大切な仲間とともに、この1年間を乗り切った。

 養成所での通算勝率は4.14と決して高くはないが、教官からは「不器用な部分はあるが、地道に努力していくタイプ」と、向上心は十分に評価されている。将来の夢は「SG制覇」。長崎支部を代表する選手になり、常にSG戦線で活躍する選手を目指す。

▼篠原晟弥(福岡) 「瓜生選手に憧れて」

 「瓜生正義選手に憧れて」。福岡ボートでその走りに魅了された篠原晟弥(しのはら・せいや)は、ボートレーサーになることを決心した。中学時代から受験し続けて、5回目でやっと合格通知を受け取った。「合格した時はうれし泣きしました。学歴は気にしていない」と高校を中退して即、夢の道へと突き進んだ。

 とはいえ、養成所の訓練はたやすいものではなかった。「時間に縛られる生活や、自分で動かないといけないことがつらかった」。そんな生活を支えてくれたのは母からの手紙。「毎週1回、母から手紙が届くのがすごく楽しみだった。訓練生活でそれが一番、印象に残っている」と振り返る。「初めて賞金をもらえたら、家族でおいしいものを食べたい。将来的には両親に家を買って親孝行したい」と、支えてくれた家族への恩返しを誓う。

 教官からも「旋回はいいものを持っている」とポテンシャルの高さを評価。憧れの瓜生選手を目標に、常に上を目指す姿勢を崩さず挑んでいく。

▼浦野 海(福岡) 1位にこだわる16歳

 努力は力なり。この言葉を座右の銘に掲げる浦野海(うらの・かい)は16歳。124期の中では年少組の1人。子どもの頃から地元福岡3場のレース場に足を運び、その迫力に圧倒されて、自然とボートレーサーの道を志した。中学卒業とともに、養成所へ一発合格で入学。

 訓練ではみんなが苦しむ体重管理だけでなく、年齢層が広い中での団体生活にも苦労が多かった。「考え方や価値観などの違いなど戸惑うこともあったけど、この1年で成長できた」と、そのつらさをしっかり糧にしてきた。教官からも「積極的に一生懸命ついて行こうとしていたし、現役選手に教えてもらう時も物おじせずにいっていた」。前向きに学ぶ姿勢を大いに評価されていた。

 自身では「何もするにも1位にこだわってしまう」ことを短所と挙げているが、それはプロのレーサーにとっては決して短所だけにはならない。常に上を目指すこと。それはトップレーサーになり、走り続けるためには必須条件だ。短所をいつか長所へ変えるために、さらなる努力を積み重ねていく。

▼野見山拓己(福岡) 先輩と同級生追って

 就職先はすでに決まっていた。だが大学卒業を目前に、野見山拓己(のみやま・たくみ)は「もっと何か新しいことに挑戦したい」と自らの人生を方向転換。ボートレーサー募集のCMを見て受験を決意し、1回目で合格通知を手に入れた。

 高校は嘉穂東(福岡)を卒業。先輩にはレーサーで活躍する瓜生正義、同級生には羽野直也がいる。「羽野君を応援しに行ったときに、初めてボートレースを見た」。その時に感じたエンジン音、1周1Mの攻防、ターンのかっこよさ、全てに心を奪われた。しかし、訓練ではそうした華やかさとは違う厳しい生活や、体重維持の難しさなど戸惑うことも多々あった。だが、それを乗り越えて今、ボートレーサーとしてのスタートラインに着く。「尊敬する選手は瓜生選手。常に向上心を持って、目の前のことひとつひとつに真摯(しんし)に向き合っていきたい」。偉大な先輩、同級生に早く追いつけるよう、これから一歩ずつ歩んでいく。

▼上原健次郎(福岡) たくさん稼ぎ親孝行

 いつも笑顔で元気いっぱい。沖縄出身の上原健次郎(うえはら・けんじろう)は、体を動かすことが大好き。九州共立大学で中高の保健体育の教員免許を取得。教員採用試験も合格していたが「養成所の2次試験でボートに乗って、これしかない、と思った」。今まで体験したことがないボートの迫力に魅了され、この世界に進むことを決めた。

 ボートレーサーという職業を選んだ理由はもうひとつある。5人兄弟で次男の上原は「収入面でも魅力を感じた。たくさん稼いで親孝行をしたい」。その強い気持ちで、養成所の試験は「最初で最後の挑戦」と決めて一発合格。訓練生活は時間の厳しさなど戸惑うことも多かったが、「選手になってから必要なこと。これに慣れることが大切」と1年間を乗り切った。

 教官からは「明るく前向きな性格で人から好かれるタイプ。体格も小柄でボートレーサー向き。もまれれば伸びる」とお墨付き。初めての賞金はもちろん「両親に何かプレゼントを」。夢の1億円レーサーへの道は、まだ始まったばかりだ。

▼篠原飛翔(福岡) 負けず嫌いを生かす

 負けん気の強さが一番の武器だ。篠原飛翔(しのはら・つばさ)は小学校から高校までサッカー部に所属。小、中学校時代には県大会に出場した。そこで持ち前の負けん気の強さに加えて、苦しい状況でも耐えられる忍耐力を身につけた。

 「小さい頃から体格が小さかったので、周囲から(ボートレーサーになることを)薦められていたし、負けず嫌いな性格を生かせる仕事だと思った」。その思いは、高校3年生の時に、芦屋でペアボートに乗ったことでより一層強くなる。「仲谷颯仁選手に乗せてもらって、すごく楽しかった。絶対選手になろうと思った」。高校卒業後は一般の会社に就職したが、夢は諦め切れなかった。「124期の試験を受けた時に仕事は辞めて、2次試験に臨んだ」と、ここでも負けん気の強さを発揮し、合格通知を手にした。

 リーグ戦の第7戦では優勝戦にも登場。教官からは「思い切りが良くて握れるタイプ」との評価で、まさに自身の性格を表すレーススタイル。迫力ある走りで、多くのファンを魅了するレーサーとなる。

▼柳瀬幹太(山口) いつか父を超えるぞ

 父の背中を見て育った柳瀬幹太(やなせ・かんた)は、真面目な性格だ。父興志は現役のボートレーサー。「プロスポーツ選手になりたかったし、小柄な体格を生かせるスポーツだった」。将来を考えた時に真っ先に浮かんだ職業。自らの進路はすぐに決まった。

 尊敬する人物は両親。厳しい訓練中は、父からの手紙が心の支えになっていた。「手紙には基本が大事、と書いてあった。実際にボートに乗って、思うように操れなかったときに、プロのすごさを感じた」。同じ世界に入ることができて、改めて父の偉大さを実感。家族の応援が背中を押してくれた。

 教官からも「とにかく真面目で優等生。124期を立て直した功労者でもある」と信頼は厚かった。リーグ戦の第2戦では優勝戦に進出するなど、潜在能力は十分に備わっている。「憧れるのは今村豊選手。常に成績を残していて、人柄も尊敬できるから」。父はもちろん、身近にいるトップレーサーへ肩を並べ、いつかは超えてみせる。

=2019/04/28付 西日本スポーツ=

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