輝く未来へ爆走 オートレース34期 飯塚勢あす、山陽勢来月デビュー

西日本スポーツ

 オートレース選手養成所(茨城県下妻市)を5日に卒業した第34期生が、全国のレース場で次々とデビューする。飯塚、山陽勢は、それぞれ4人ずつの計8人(ケガでデビューが遅れる飯塚配属の石本圭耶は除く)が旅立つ。このうち山陽では、初の女子選手が誕生。女子としては初めて優秀賞に輝いた松尾彩(30)と、早川瑞穂(27)の2人だ。9カ月間の厳しい訓練を乗り越えてスタートラインに立ったオート界の期待の星たちを紹介する。

■曲折経て成長を実感 古城龍之介(こじょうりゅうのすけ)

 曲折を経て、ようやく公営競技のレーサーとしてデビューする。「普通の仕事には就きたくなかった」。古城龍之介は、父親の強い勧めもあって中学卒業前からボート試験を受験。5度目の挑戦で合格し、やまと学校に入所した。ただ不本意にも半年間で退所へ。「もうボートは受験できない」。失意の中で将来を模索していた時期に、父親がオートの候補生募集を見つけてきた。しかし33期は不合格。そして「年齢的にも最後」と腹をくくって臨んだ34期で吉報を手にした。

 やまと学校では苦い経験もしたが、オートの養成所では順調そのもの。選手資格検定の走行検定も3番目タイ(3.49)の成績で突破した。「二輪車に乗ったことがなくて変な癖がなかったのが良かったかな」。所属場で行う実地訓練に出てからも「師匠や派閥の先輩に適切な助言をもらって、さらに成長できた」と実感。それでも、まだスタートラインに立ったばかり。「お客さんに楽しんでもらえるようなレース」ができるよう精進だけは怠らない。

■“規格外”強みに前進 早川瑞穂(はやかわみずほ)

 早川瑞穂は身長147.5センチとオート界でも異例の低さ。それゆえ選手養成所では「むちゃくちゃ苦労した」。最初は「競走車を取り回すのにもフラフラ。またがっても足が届かない」。体に合った腰周り、乗り方と試行錯誤を繰り返した。学生時代にも“身長の壁”に悩まされ、「長くスポーツの世界で」という夢を断念したが「身長は低く未経験でもプロになれる」と飛び込んだこの世界でも、いきなり壁に当たった。

 女子選手の中で一番身長が低い佐藤摩弥に指導を受けたことはあったが、「佐藤さんは私のプラス約4センチ」と違和感は依然、残った。それでも全国ランク1位・鈴木圭一郎からの「前例がない分、可能性は無限大」という言葉を心の支えに、何とか困難を乗り越えてきた。

 「自分はいろんな面で“規格外”だと思う。でも他の人にはないものを強みにして無理だと思われていることを可能にしたい」。常に頭の中に「最後まであきらめない」という言葉を置き、「早川とレースしたら面白そうだな、そんな選手になりたい」。

■「絶対に最優秀新人」 松尾 彩(まつおあや) 

 オートのことは何一つ知らなかった。それでも松尾彩は、SNSで34期選手候補生募集を見つけた瞬間、「直感でこれしかない、と思った」。自動車関連会社で仕事をしながらボートの試験を6度受けたが、全て不合格。「同じことの繰り返し。気力もなくなってきた」。そんな時の運命的な出合いだった。受験前には飯塚で初めてオート見学。「音の迫力がボートと違ってすごい。自分も金網の向こうに行きたい」。オートレーサーへの思いを強くして受けた34期で一発合格した。

 選手養成所では、すこぶる順調。女子初の優秀賞を獲得する快挙まで成し遂げた。唯一の心残りは、選手資格検定の走行検定(3.49で3番目タイ)でトップになれず、最優秀賞も逃したこと。「レース経験者がいても可能性は1%はあったはず。絶対に無理ではなかった」。その悔しさは、「絶対に最優秀新人賞を取る」ことで晴らすつもりでいる。ただ年齢は同期の中でも上の方。「その分、努力はしなければと思っている」。デビュー後も同期以上に練習を重ね、必ず有言実行してみせる。

■気持ちで困難を克服 山本 翔(やまもとしょう)

 4度目の挑戦でつかんだオートレーサーへの道は、決して平たんではなかった。山本翔は、選手養成所に入って2カ月目の乗車訓練中に落車。左手首を骨折するアクシデントに見舞われた。手術後約2カ月は乗車訓練ができず、他候補生との差はみるみる広がった。「正直焦った」。他候補生の乗車訓練を見学するだけの毎日。「でも、ここでくじけたら選手になれない」と何とか耐え抜いた。

 乗車訓練を再開できたあとは、「今まで以上に集中して訓練ができた」と、これまでの複雑な思いを集中力に変えて猛練習。「トップクラスの候補生は別として、2カ月間を棒に振った割にはそこそこかな」。納得いくレベルには全く到達できなかったが、何とかデビューにはこぎ着けた。

 課題は車速。「速くなるターニングポイントは誰でもあると思う。それを早く見つけられるように、今は練習あるのみ」。決してあきらめない強い気持ちがあったからこそ、ここまでこられた。デビュー後も前だけを見て精進を重ねる。

■双子の弟の分も走る 川口裕司(かわぐちゆうじ)

 川口裕司は、どんなに選手養成所がつらく厳しくても、弱音だけは吐けなかった。それは双子の弟の存在。吉報を手にするまでの公営競技レーサー8度の挑戦は、全て弟と一緒。だが、「合格は自分だけで…」。夢の舞台へともに立つことはかなわなかった。だからこそ、中途半端な気持ちで訓練には臨めなかった。

 サッカーは高校、大学と推薦で入学したほどの実力。一時は「真剣にJリーガーも考えた」と言う。養成所ではその抜群の運動神経を発揮。教官からも「最初から比較的いい形で乗れていた」と、高い評価を受けた。もちろん成績は上位。選手資格検定の走行検定こそ、3.60と下から数えた方が早かったが、それは検定で落車。バタバタと整備し直して、腰周りも合っていない状態で再挑戦したから。タイムトライアルでは「3.46、47が出ていた」と心配はない。

 福岡のモデル事務所に在籍したこともあるイケメンは、「デビュー後も弟の分まで頑張りたい。もちろん初戦は弟のためにも1着で」と意気込む。

■安定よりも挑戦選択 道智亮介(どうちりょうすけ)

 安定より挑戦することを選んだ。地元で消防署に勤務していた道智亮介は、鈴鹿サーキットでレース観戦するうちに、「自分がどこまでできるのか。自分もやりたい」と好奇心に駆られた。ただレースで生計を立てるとなると、「厳しいかな」。そこで頭に浮かんだのが公営競技だった。鍛え上げられた「この体ではボートは無理」。選択肢は「生で見たことがなかった」というオートレースしかなかった。

 初挑戦で合格し、選手養成所へ。「自分ならやれるだろう」。おぼろげな自信はあった。しかし、それも日を追うごとに薄れた。厳しい養成所生活に「精神的にかなりまいった。58キロにまで絞った体重もストレスで太った」。それでも所属場で行う実地訓練に出てからは、再び「前向きないい精神状態」へ。

 消防署時代は、ロープ応用登はん部門の三重県代表として全国消防救助技術大会で表彰された実績を持つ。まだ克服すべき「課題は多いが、やればできる。今はやるしかない」。デビューを前に確実にモードは切り替わった。

■“兄超え”目標に奮闘 長田稚也(ながたまさや)

 「兄と同じ舞台で勝負して勝ちたいんです」。長田稚也の兄は、32期生として活躍中の恭徳。中学時代にサッカーの広島県選抜メンバーにも選ばれた恭徳とは違い、「自分には何も実績がない。スポーツでは全く兄にかなわなかった」。悲願の“兄超え”を果たすために、恭徳がデビューした瞬間から、自らの進む道もオートレーサーと決めていた。

 恭徳と同じように高校在学中に受験して一発合格。ただ選手養成所に入り、実際に競走車に乗ると「外から見ている時とは大違い。簡単ではなかった」。持ち前の粘り強さで奮闘し、何とか船出の時は迎えたが、「同期には差をつけられた」と自覚する。それでもまだ18歳と最年少。しかも「負けず嫌い」の性格なら、あるのは伸びしろだけ。一番の課題として取り組む「フォーム固め」は、師匠ら先輩選手の指導のおかげで「少しずつ形になってきた」。進化の速度は緩やかでも、将来的には同期を追い越し、兄・恭徳とも同じ最重ハンディのステージに立ってみせるつもりだ。

■責任感胸に猛練習中 藤川 竜(ふじかわりゅう)

 「大時計の針がゼロに近づくにつれ、エンジン音が高まる。そして一斉に飛び出す-。スタートがとにかく格好良かった」。高校卒業後、兄に連れられて初観戦したオートレースに一瞬にして心を奪われた。「自分の実力で稼げる」ことにも魅力を感じ、転身を決意。初挑戦の33期では涙をのんだが、34期で見事、憧れの舞台への挑戦権を得た。

 小学校から野球一筋。高校は県内でも有数の強豪校・飯塚高校で白球を追った。そこで鍛えられた忍耐力は選手養成所でも大いに役立った。「命と隣り合わせの世界だけに厳しいのが当たり前。全く苦にならなかった」と生活面では何ら問題なし。ただ「走りには物足りないところがあった」。今は師匠、先輩の助言を受け、「より突っ込んでグリップを早く開ける」ことを意識して猛練習中だ。

 デビューを目前に控え、「ようやくスタートラインに立ったんだな」と感慨深げ。「今度は、見る立場から見られる立場」。車券の対象となる責任感を胸に刻み、一段と気を引き締める。

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