藤田倭11K米国完封 原点に上野の無言の教えと涙

西日本スポーツ

6回2死一、二塁、米国・スポールディングを三振に仕留め、ガッツポーズを見せる藤田 拡大

6回2死一、二塁、米国・スポールディングを三振に仕留め、ガッツポーズを見せる藤田

先発し力投する藤田 先発し力投する藤田 8回無失点と好投した藤田(右)をねぎらう宇津木監督

 ◆ソフトボール女子の国際親善試合、日米対抗最終第3戦 日本1×-0米国(25日・東京ドーム)

 世界ランキング2位の日本は同1位の米国との熱戦をタイブレークの延長8回サヨナラ勝ちで制し、2勝1敗で大会を終えた。先発の藤田倭(太陽誘電)=長崎県佐世保市出身=は被安打2、11奪三振の力投で完封した。

 平日ナイターの東京ドームに詰め掛けた2万331人が“歴史の目撃者”になった。サヨナラ勝ちの後のお立ち台。135球を投げ抜いた藤田が叫んだ。「エースの意地を見せました」。自らの口から飛び出した3文字。日本にもう一人のエースが誕生した瞬間だ。

 藤田の名前「倭(やまと)」には「日本を背負うような人物に」との意が込められている。今月上旬の国内合宿(群馬・宇津木スタジアム)でのこと。「今考えると、後付けかもしれませんが…」と笑った藤田はこう続けた。「親からよく言われました。レギュラーにならなくてもいい。でも、みんなから愛される選手になりなさい、と。いろんな気持ちを背負って投げる。それがエースだと思います」

 2008年北京五輪で金メダル獲得に導いた上野由岐子(ビックカメラ高崎)=福岡市出身=を顎の骨折離脱で欠く中、今大会初登板で8回を無失点。アボット、オスターマンの二枚看板を含む4投手の継投で臨んできた米国投手陣に対し、一人で日本のマウンドを死守した。ライズやドロップの高低だけでなく、各打者の内角も執拗(しつよう)に突くなど我妻とのバッテリーで主導権を握り続けた。延長8回1死満塁のピンチでは4番アギュラーをストレートで空振り三振に切って取るなど中軸を抑えて、サヨナラ勝ちを呼び込んだ。

 8月30日開幕のジャパンカップも控えるが、会場の群馬・宇津木スタジアムは屋外球場のため、雨が降れば中止になる可能性もある。来夏の東京五輪に向け最後の米国戦になる可能性もあるだけに、最大のライバル米国を相手に意味のある勝利になった。

 藤田には決して忘れられない試合がある。「私、そのゲームで泣きました」と振り返ったのは12年夏のカナダカップ。当時21歳で初めて日本代表に選ばれた藤田は、米国との決勝で宇津木麗華監督から先発を任された。結果は9-6で日本の勝利。打ち合いのゲームにもかかわらず、宇津木監督は最後まで藤田を代えなかった。理由は一つしかない。「藤田を上野に次ぐ投手陣の柱に育てるため」だった。そんな宇津木監督の思いとは別に、藤田は米国の強力打線を相手に必死に投げるだけだった。「先に4点取ってもらったのに、すぐに4点取り返されました。タイブレークの8回に一挙5点を勝ち越してもらったと思ったら、その裏に2点取られて…。しかも、最後の1アウトがどうしても取れませんでした」

 感情が表に出やすい性格。強気は藤田の特徴でもあるが、動揺を隠せなかったという。「アウトが取れない、どうしよう、取れない…と。たぶん、最後は満塁まで追い詰められた気がします。自分では『もう無理かも…』と、ふと味方のベンチを見たんです」。そこで目が合った。自分を見つめていたのは上野だった。「私は『助けてほしい』と思いました。でも、上野さんは私をじっと見たまま、何も言いませんでした」。必死の思いで最後のアウトを取り、ゲームセット。その後、笑顔の上野からねぎらわれた。「ヤマト! ナイスピー!」-。その言葉を聞いたとき、涙をこらえることができなかった。

 あれから7年の月日がたち、藤田は「投手」と「打者」の両方をこなす「二刀流」として日本のソフトボール界を引っ張る「顔」の一人になった。昨夏の世界選手権では米国との準決勝で先発。3-4で敗れたとはいえ完投。米国との再戦となった決勝では打者として2本塁打を放った。東京五輪で「打倒米国」を果たすためにも藤田の投打は欠かせない。

 今大会の開幕前。藤田はこう口にしていた。「やっぱり日本の強さは、上野さんがいること。そこで自分がどう機能していくかが大事になる」。その上野がいない大会で、日本は米国に勝ち越した。

 「山を支えるような人間に」と両親から名付けられた上野由岐子は長く日本のソフトボール界をけん引してきた。36歳の上野が支え、28歳の藤田が背負う。東京五輪のソフトボール決勝は来年の7月28日、横浜スタジアム。両輪が駆動すれば、1年後に日本は金色の歓喜に包まれる。

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