ドラフト4位・笠谷(上)母の死乗り越え、野球と運命の出会い

西日本スポーツ

2015ルーキーズ ドラフト4位・笠谷俊介(上)

 新入団発表会見を控えた11月末。笠谷は大分市内にある母美由紀の墓前で手を合わせ、ホークス入団をあらためて報告した。「プロしか考えていなかった。地元九州のホークスでプレーしたかった」。息子の頑張りを知る父幸成も万感の思いで見守った。

 1997年に宮崎市で生まれた笠谷は、小学校に入学する前に大分市へ移った。横瀬小4年のとき、母は白血病のため、42歳の若さでこの世を去った。あまりに早すぎた別れに号泣した笠谷だったが、同じ時期に出会った野球が小さな魂を支えてくれた。

 当時、クラスで一番背が低く、決して目立つ存在ではなかった笠谷を軟式野球チーム「富士見ネイチャーズ」に誘ったのは、同級生で同じクラスだった梅木大哉。高校では大分上野丘のエースとして笠谷の最大のライバルとなる男だった。

 誘った梅木は「チームの人数が少なかったから」と笑うが、小5からは投手として梅木とバッテリーを組んだ。中学では硬式の「大分七瀬ボーイズ」に進み、投手転向した梅木と二枚看板として活躍。チームは県大会と中九州大会を制した。

 母との別れを乗り越えた息子の歩みを、父は振り返る。「まだ小学生で本当はつらかっただろうが、我慢していた。とても優しい子だった。悲しい時期に野球という熱中できるものに出会えたことが大きかった」。運命の出会いに感謝した。

 グラウンドで成長しただけではない。家の手伝いや風呂掃除を3人の姉とともに率先してやるようになるとともに、練習や試合で汚れたユニホームは自分で洗濯した。試合の日は弁当を買って食べることも多かったが、文句は言わなかった。

 高校進学を控えた中学3年秋。互いに力を認め合う笠谷と梅木は「違うチームで競い合ってみたい」と考えていた。笠谷は大分商、梅木は大分上野丘にそれぞれ進学。今度はライバルとして、グラウンドでしのぎを削る関係となった。 =敬称略

 (永松幸治)

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