ドラフト5位・島袋(上)幼少期に培われた「左腕」

西日本スポーツ

2015ルーキーズ ドラフト5位・島袋洋奨(上)

 小さな体に、大きな期待を寄せられて生を受けた。2328グラムの低出生体重児。兄、姉に続く島袋家の第3子は、母・美由紀を少し心配させた。「病気せずに育ってくれるかしら…」。その愛息に父・直司は洋奨(ようすけ)と名付けた。「太平洋のような広い気持ちを持ち、大将のように強く大きな人になってほしい」と願いを込めた。

 18年後、両親の願い以上に成長した男は、甲子園春夏連覇で沖縄を熱く盛り上げた。その種をまいたのが直司だ。3歳の島袋にキャッチボールをするための玩具を買ってあげた。マジックテープのついた柔らかいボールとグラブ。グラブは右手で持たせ、ボールは左手で投げさせた。

 沖縄県の古豪、北山高時代にエースを務めた直司は、西日本工大では外野手でプレー。そんな父だからこその思いがあった。「左投げの投手にあこがれていた」。小学校では箸も鉛筆も右手で握った島袋だが、ボールを投げるのは左手。「左投げじゃなかったらプロになれていないかも」と感謝の思いを口にした。

 運命の出会いが、種が芽を出すきっかけになった。志真志小1年時、自宅がある宜野湾市内のマンションに同い年の男の子が引っ越してきた。慶田城開。後に興南高、中大でもチームメートになる親友とすぐに意気投合した島袋は翌年、慶田城の誘いで「志真志ドラゴンズ」に加入した。

 小4になると慶田城の父・広が創設した「志真志ドリームス」に2人で移った。興南高野球部OBの広の指導で、島袋は投球の基礎を学んだ。練習は週3回、多い日には200球の投げ込み。右打者にはプレートの一塁側、左打者には三塁側からそれぞれ内角を目がけて投げる練習を積んだ。

 甲子園を沸かせた「琉球トルネード」の原型ができたのも小学生のころだ。小6時の身長は145センチ。小柄な体を目いっぱい使いつつ、制球よく打者を圧倒する。中学の軟式野球を経て、飛躍へのステップを着実に整えていった。=敬称略

 (谷光太郎)

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