ハンド宮崎大輔38歳レジェンドの挑戦 日体大に再入学、東京へ

西日本スポーツ

 ハンドボール界の「レジェンド」宮崎大輔(38)=大分市出身=が4月から母校の日体大に再入学し、奮闘している。長きにわたってエースとして日本を引っ張ってきたが、ここまで五輪には届かなかった。2020年の東京五輪代表を目指し、異例の決断をした宮崎が大学生として過ごす日々や、東京を目指す熱い思いを本紙に語った。 (聞き手、構成=松田達也)

 -日体大で大学生として過ごす日々は。

 「まあ、大変ですよ…。でも38歳になって、こうやってチャレンジする場所をもらえていることに感謝している。学生とはコミュニケーションを大事にしている。スペインでプレーした時もそうだったけど、しっかり話しかけて、自分を知ってもらって、どれだけチームに入っていけるか。いろいろ聞いてもらえるように心がけている。自分も学生から発見できることがたくさんある」

 -大崎電気を退団し、日体大に再入学した。

■発見できることたくさんある

 「日本代表で求められる役割が変わった。対応し、ポジションを勝ち取るためには体力面、技術が必要になった。それを得る機会がここ(日体大)にあった。走るハンドボールを目指しているチームで速いスピードの中でどうプレーするか。ただ走るだけじゃなく、走る強弱、角度。走ることの大切さを感じた。いまはプレーしながらミスも起きている。もう一度、たたきこみたい」

 -大学では授業に出席し、チームの練習に参加している。

 「なるべく学生と同じメニューをやっているのでケアは大事にしている。いろいろなことを積み重ねていく大切さを実感している。授業もスポーツ生理学、スポーツ社会学、メンタル面の勉強、体のつくりとか、かなりプラスになっている。授業は楽しいけど、テストがね、きついんですよ…。それでもやりがいを感じている」

 -すべては日本代表の復帰を目指しての選択。

 「いつ日本代表に呼ばれてもいいようにコンディションを万全にしたい。いまの代表はレベルが高いし、人材もそろっている。大学での練習は学生と同じメニューをやっているが、まだできていない部分もある。でも、この環境に慣れて練習できたら、簡単にやれるようになる。慣れれば、プレーの発想も生まれるようになる。現時点では、まだそこまでは到達していない」

 -日本代表では部位久アダム勇樹など、九州出身の選手も活躍している。

■アテネの悔しさ忘れられない

 「アダムについては、あれだけ球が速い選手を見たことがない。同じ九州から代表選手が増えるのはうれしい。自分が高校生のころは、九州を制するものは全国を制する、といわれていた。大分だけでなく、九州出身の代表選手も多かった。自分は小学3年生で競技を始めて、今年で30周年! やめたいと思うことはなかったが、故障はつらい。自分の動きができず、歯がゆい思いをしてきた。いける、と思ってプレーしたら肉離れ、という経験もした。いまは若いときとは違う。体がついていかなくなった部分もある中で、いい状態に近づく作業を増やしている」

 -開幕まで1年を切った東京五輪への思いを。

 「支えてくれた人への恩返しのためにもオリンピックに出たい。アテネ(大会の予選)で負けてから、絶対にオリンピックで勝ちたいという思いが強くなった。もし、出場できていたら、もうハンドボールをやっていないかもしれない。これまで追い続けられたのは、アテネの予選の悔しさが忘れられないから。4年に1度だけど、懸ける思いは誰よりも強い」

 -ハンドボールをメジャーにしたい、という思いも強い。

 「人気を高めるためにはメダルを取らないとね。出るだけではダメでしょう。日本で開催されるし、ハンドボールを知らない人も見に来てくれる。その中で日本の頑張り、今までやってきたことを見てもらいたい。もちろん、その瞬間に自分がコートに立っていることが目標」

   ◇    ◇

 ◆宮崎の五輪予選の苦闘 2004年アテネ五輪は日本で行われたアジア予選に臨み、強豪の韓国と引き分け、2勝1分けの無敗で終えたが、得失点差で韓国に上回られて出場を逃した。「中東の笛」で前代未聞のやり直しとなった08年の北京五輪のアジア予選も韓国との一騎打ちに屈し、その後も五輪を逃し続けた。20年は開催国枠で32年ぶりの五輪出場が既に決まっている。

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