ソフト上野「目標がない」北京で金の直後進退に迷い

西日本スポーツ

 東京五輪で日本選手団の先陣を切って登場するソフトボール女子日本代表の宇津木麗華監督は、北京五輪以来となる金メダル獲得の期待を担う中で令和を迎えた。

 生まれ故郷の中国から昭和に来日。選手や指導者として平成を駆けた。一度は五輪から除外された期間の苦しさを知るからこそ、選手には日本代表として五輪で戦う意味や価値を問い続ける。東京五輪を「競技人生の集大成」と言い切る宇津木監督が思いを語った。

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 2008年の北京大会後に五輪からソフトボールが失われた。「目標がない人がこのままやっていいのでしょうか」-。上野由岐子から尋ねられたのは北京五輪の後だった。やる気がないわけではない。でも、明確に「ある」とも言い切れない。当時ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の監督だった私は複雑な胸中が手に取るように分かった。

 世界一となった上野にとっては「頂点」が最低ライン。頂に立ち、さらに上の高みを目指す自分の姿を想像できなかったのは当然だろう。目標の五輪もなくなったわけだから。16年や20年の五輪で競技が復活できるのか、先行きが不透明な中、私は彼女を説得した。上野は日本のソフトボール界の至宝。守れるのは、私しかいないと思った。

 「やる気がなくてもいい。とにかく続けることに意味がある」。もともと探求心が旺盛な性格を理解した上で、トレーニングコーチの勉強を勧めた。ソフトボールから距離を置いても、体だけは鍛えてくれるはずという読みがあった。技術は問題ない。体さえ維持しておけば、再び競技に戻ってきた時、変わらないパフォーマンスができるに違いないと。結果的には、この“作戦”が良かった。

 あの時、上野に「もうやめてもいいよ」と肩をたたいていたら…。彼女が果たしてユニホームを脱いだかどうかは分からない。ただ、上野がいなければ、ここまでの盛り上がりはなかった。北京五輪後は10年以上もの間、メディアを通して競技復帰をPRし、東京大会の招致や成功へ向けて尽力する姿も見てきた。

 日本リーグでプレーする選手の多くは、日本の絶対的なエースだった北京での「上野の413球」を目に焼き付けて、この世界に飛び込んできている。リーグでは現在、試合後に会場で選手たちがサイン会やソフトボール教室などのファン対応を実施している。上野が掛けるひと言、笑顔がどれだけ多くの子どもたちに夢と希望を抱かせたか。

 誰しも心の奥底では、ずっとプレーヤーでいたい気持ちを持っている。私は04年アテネ五輪の後、41歳で現役引退を決めた。「まだやれる」という自負はあった。アテネの次が北京でなければ、ユニホームを脱いでいなかった。自分が生まれ育った故郷で母国のチーム(中国)と相まみえることを考えたとき、中国の方々の感情を想像すると、戦う気持ちになれなかった。そんな事情がなければ、永遠にプレーヤーでいたかった。選手以上にやりたいことはない。骨折で離脱していた上野の心境も同じだろう。

 24年パリ五輪で競技から外れる現実は変えられない。上野に限らず、選手には東京五輪を思い切り楽しんでもらいたい。「楽しむ」という概念は個々によって異なる。私の立場で「試合を楽しもう」と口にすると、語弊が生じるかもしれないが、どんな状況でも伸び伸びと躍動してほしい。プレーボールまで1年を切った今の偽らざる願いだ。

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 宇津木 麗華(うつぎ・れいか)1963年6月1日生まれ。中国・北京市出身。元中国代表。88年来日、95年日本国籍取得。現役時代は内野手で日本代表の主砲、主将として活躍し、シドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダル。2003年に日立&ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の選手兼任監督就任。04年に現役引退後は11年から15年まで代表監督を務め、12、14年の世界選手権優勝。16年11月、再び代表監督就任。群馬女子短大を聴講生として卒業。右投げ左打ち。

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