ソフト上野の413球 伝説生んだ「投げず」の4球

西日本スポーツ

 東京五輪で日本選手団の先陣を切って登場するソフトボール女子日本代表の宇津木麗華監督は、北京五輪以来となる金メダル獲得の期待を担う中で令和を迎えた。

 生まれ故郷の中国から昭和に来日。選手や指導者として平成を駆けた。一度は五輪から除外された期間の苦しさを知るからこそ、選手には日本代表として五輪で戦う意味や価値を問い続ける。東京五輪を「競技人生の集大成」と言い切る宇津木監督が思いを語った。

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 エースとは、と聞かれたら必ずこう答える。「チームのプライドを持てる投手。自分自身のプライドを捨てられる投手」。上野由岐子は2008年北京五輪で日本のエースになった。

 決勝の相手、米国にはバストスという主砲がいた。現役時代に対戦した00年シドニー五輪でもバストスの強打は際立っており、三塁手の私が深い守備位置を取るなど“2人の遊撃手”を配するシフトも敷いた。それでも体重100キロ超の体から放たれたライナーがビューンと音を立てて耳付近をかすめたとき、恐怖心を抱いたのを覚えている。

 北京五輪の開幕前、上野に忠告した。「あなたの役割は日本を勝たせること。バストスを歩かせることも大事だから」と。満塁での押し出しも構わない。唯一の弱点は外角のドロップだが、選球眼も優れており、中途半端な球は危険だ。実際、米国との準決勝で上野はバストスに被弾。無謀な勝負を挑んだ末に敗れた。同日のオーストラリア戦を制し、米国との決勝に持ち込んだ上野を「エースじゃない」と叱った。打者3人に対してボール球が12球続いても満塁。16球連続ボールで初めて相手に1点が入る。四球を良しとする投球ができないと負ける、と諭した。求められるのは蛮勇ではなく知勇なのだ。

 翌日の米国との決勝、1点リードの六回1死二塁で上野は1球も投げない「故意四球」でバストスを歩かせた。直前にマウンドへ足を運んだ斎藤春香監督(当時)には「敬遠します」とだけ伝えたそうだ。北京でクローズアップされた「上野の413球」-。私は、実際に投げずにカウントされた故意四球の“4球”こそ、上野を真のエースにしたと確信している。次の打者も歩かせて満塁としながら、後続はシュートを駆使して二つのフライに打ち取った。北京での米国戦のためだけに、3年以上も封印してきた切り札だった。

 銅メダルに終わった04年アテネ五輪の後、上野を米国へ武者修行に行かせた。シドニー、アテネの両五輪での米国打線を見て、有効だと感じたシュートを習得させるためだった。上野の120キロの快速球も、米国からすれば特別ではない。必要なのは微妙な変化。マスターするには、球種ごとにスペシャリストのコーチがいる米国しかなかった。上野は将来強敵になるかもしれない日本の若手有望投手。熱心に伝授してくれる空気ではなかったが、私は頼み込んで教えを請うた。

 帰国後の日米対抗で上野は覚えたてのシュートを試投した。米国の打者は打てなかった。私と上野の考えは「北京まで隠そう」で一致。この戦略が奏功した。大一番で封印を解いた必殺シュートが金メダルへの勝負手になった。このように米国とは駆け引きの応酬だ。見せる部分と隠す部分を選別しながら、準備を進める。今年は日米対抗で2勝1敗と勝ち越した一方、ジャパンカップでは2戦2敗。頭から「打倒米国」の4文字が消えることはない。

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 宇津木 麗華(うつぎ・れいか)1963年6月1日生まれ。中国・北京市出身。元中国代表。88年来日、95年日本国籍取得。現役時代は内野手で日本代表の主砲、主将として活躍し、シドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダル。2003年に日立&ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の選手兼任監督就任。04年に現役引退後は11年から15年まで代表監督を務め、12、14年の世界選手権優勝。16年11月、再び代表監督就任。群馬女子短大を聴講生として卒業。右投げ左打ち。

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