元韓国代表の父との夢 プロップ具が追い求めたW杯

西日本スポーツ 大窪 正一

【日本―ロシア】後半、ロシア選手(中央)の突進を阻む具智元(左)と堀江 拡大

【日本―ロシア】後半、ロシア選手(中央)の突進を阻む具智元(左)と堀江

開幕戦から本領発揮だ。後半15分、背番号18のプロップ具智元(大分・日本文理大付高出身)が晴れ舞台に立った。ロシアの大型FWのスクラムに堂々と渡り合い、日本の勝利を支えた。

 韓国人ながら桜のジャージーでW杯に出場するという父子2代で追い求めてきた夢が実現した瞬間だった。具の父親の東春(ドンチュン)さんは、かつて韓国代表として「アジア最強」と呼ばれた名プロップだった。日本と互角だった1986、88、90年のアジアラグビー大会では日本を破って3連覇を達成。その実力を評価されて来日し、91年からは本田技研鈴鹿(現ホンダ)で5年間プレーした。

 東春さんがかなわなかったW杯出場の夢。W杯は国籍主義を取らず、居住期間など条件をクリアすればその国・地域での代表入りが可能だ。一方、一度代表に入れば、その国以外の代表にはなれない。韓国では協会の要職も歴任した東春さん。それでも息子には韓国よりラグビーが盛んでアジアで最も強い日本での代表入りを望んだ。

 具とともに2歳上の智允もホンダでプレーしているが、父はもともと兄弟に無理にラグビーをさせるつもりはなかった。「小学生時代、兄弟でやるのはテレビゲームばかり。『腹筋200回やったら1時間ゲームをやっていい』と言った。できないと思ったのにすぐにできた」。身体能力の高さを感じて本格的にラグビーを勧めたという。

 中学1年から留学させた本場のニュージーランドではホームステイ先が菜食主義で具の体重が1カ月で10キロも落ちた笑い話も。悩んだ末、具が中学3年の時に縁のあった大分県佐伯市に家族で移り住んだことが飛躍のきっかけになった。両親が暮らしたのは、具が高校入学までだったが、東春さんが朝と夜に兄弟に厳しい特訓を課した。

 「毎日走らせた。雨でも雷でも」。その熱意は具が成長しても変わらない。具が右手負傷で代表候補から離脱した8月、東春さんが来日してホンダで毎日2人で練習した。「走ったりスクラムを組んだり」と、父子で過ごした時間が代表落選の不安をかき消した。

 冷え込む日韓関係。息子の存在が両国の「懸け橋」となってほしい。そんな父の願いも背負い、具は日本のスクラムを支える。 (大窪正一)

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