覚悟の痛恨敗戦 上野で逃げ切らず藤田倭に託した訳

西日本スポーツ

 東京五輪で日本選手団の先陣を切って登場するソフトボール女子日本代表の宇津木麗華監督は、北京五輪以来となる金メダル獲得の期待を担う中で令和を迎えた。

 生まれ故郷の中国から昭和に来日。選手や指導者として平成を駆けた。一度は五輪から除外された期間の苦しさを知るからこそ、選手には日本代表として五輪で戦う意味や価値を問い続ける。東京五輪を「競技人生の集大成」と言い切る宇津木監督が思いを語った。

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 簡単に言えることではない。女子マラソンの有森裕子さんは、1992年バルセロナ五輪「銀」の後に故障に見舞われ、手術や過酷な練習を乗り越えて96年アトランタで「銅」を手にした。レース後に口にした「初めて自分で自分をほめたい」は最高の言葉。己を知り、己に勝つ。藤田倭(やまと)=太陽誘電=がそんなマインドを身に付ければ、上野由岐子(ビックカメラ高崎)と並ぶ日本女子ソフトボール界の顔になれる。

 2016年の日本リーグ女子で打者として本塁打王と打点王、投手としても最多勝に輝いた藤田はソフトボール界の「二刀流」と呼ばれている。打撃は豪快でスイングも速い。現在、日本代表の4番を任せている山本優(ビックカメラ高崎)と同じく相手バッテリーにプレッシャーをかけられる。ただ、気持ちの切り替えがやや苦手なタイプで、体の近くに投げられて怒った顔をしたり、逆にボール球にも手を出したりすることがあった。

 顔に表情を出すのは相手に余計な情報を与えているのと同じ。勝負師としてマイナスに作用するケースもある。カッカしている藤田に「せっかくの能力が逃げてしまうよ」と何度も声を掛けてきた。人生は浮き沈みの連続。仮に不振や故障などで「あいつは終わった」みたいな言われ方をしても、自分だけは自分を信じる。成功を手に入れる人は、不遇のとき、孤独に耐え抜く強さを持っている。

 藤田の特徴でもある強気な姿勢が頼もしく映るときもある。12年のカナダ・カップ。9-6で勝った米国との決勝で、私は当時21歳の彼女を先発完投させた。五輪の競技から外れており「東京」もその先も想像できなかった時代。それでも、いつの日か再び五輪の大舞台で米国を倒すには上野に続く投手、ゆくゆくは二枚看板が必要と考えていた。打たれても歯を食いしばりながら、米国打線に立ち向かう藤田の気迫を目に焼き付けながら、私は「この子を必ず独り立ちさせないといけない」と誓った。

 昨夏の世界選手権は準決勝で米国にサヨナラ負け。翌日は敗者復活を兼ねた3位決定戦でカナダを倒したが、同日の決勝で米国に再びサヨナラ負けした。私は準決勝は藤田、3位決定戦と決勝は上野に完投させた。序盤で3-0とリードした準決勝は藤田-上野の継投で逃げ切る選択肢もあったのでは、と周囲から指摘された。でも、代えなかった。上野の力を借りて勝つよりも、1試合を投げ切らせて藤田の経験値を高めることが大事だと考えた。

 決勝のプレーボールは3位決定戦から3時間半後。私は36歳の上野の2連投を選んだ。26歳だった北京五輪から10年。真夏の試合で心身ともにきついのは承知の上ながら、あえて2試合を任せた。頂点に立ってもなお進化できる上野には、北京とは違う「景色」を見せたかった。

 東京五輪に向け、最大のライバル米国との2試合を、2人に託したことが私のメッセージでもある。藤田は上野に次ぐ2番手などではない。

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 宇津木 麗華(うつぎ・れいか)1963年6月1日生まれ。中国・北京市出身。元中国代表。88年来日、95年日本国籍取得。現役時代は内野手で日本代表の主砲、主将として活躍し、シドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダル。2003年に日立&ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の選手兼任監督就任。04年に現役引退後は11年から15年まで代表監督を務め、12、14年の世界選手権優勝。16年11月、再び代表監督就任。群馬女子短大を聴講生として卒業。右投げ左打ち。

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