丸山 柔道世界選手権初出場V 父が届かなかった五輪金の夢

西日本スポーツ 末継 智章

 8月の柔道世界選手権男子66キロ級で、丸山城志郎(26)=ミキハウス、宮崎市出身=が初出場初優勝を果たした。父の顕志(54)は1992年バルセロナ五輪男子65キロ級に出場し、7位。果たせなかった五輪での金メダルの夢を息子に託し、鬼の指導で鍛えてきた。ところが2016年に“絶縁”を宣告。その背景と、今夏の世界選手権前に約3年半ぶりに復縁を認めた理由とは-。 (末継智章) (文中敬称略)

■「城を志す男」

 城志郎は1993年、丸山家の次男として生まれた。名前の由来は「城を志す男になる」。当時顕志が抱いた夢だった。

 「私が出たバルセロナ五輪の1年後。次は柔道界に恩返しをしたい、そのために日本武道館のような“お城”を建てたいと思っていた」

 城志郎と1歳上の長男剛毅には顕志が果たせなかった五輪での金メダルという夢を託した。最初は顕志や男子日本代表監督の井上康生がかつて稽古した静充館(宮崎市)に通わせ、約1年後に引っ越した同市内の自宅が道場から遠くなると、道場「泰山学舎」を建てて稽古をつけた。

 「普段は息子たちと釣りに行って遊んだ。だけど、柔道に関しては鬼になった。『行きたくない』と泣いても道場に行かせた」

 心を鬼にしたのは、バルセロナ五輪での自身の失敗を繰り返してほしくないからだった。

 「バルセロナに着くと(緯度が高いため)なかなか日が沈まず、眠れなくて。個人ドクターに『半錠だけ』と言われてもらった睡眠薬を試合前日に1錠飲んだ。すると当日は減量の影響もあって体が動かなかった。最後で心が負けた。だから息子たちには常に最悪の状況、環境を意識するしかないと伝えてきた」

 顕志は小学校入学前から1日2時間以上の稽古を息子たちに課した。大半が体力や筋力強化の基礎トレーニング。中でも、同市内の大淀川の河川敷で堤防を上り下りするダッシュを重視した。

 「特に下りは転ばないよう、踏ん張らないといけない。普通の走りではつかないばねが膝にでき、内股に生きているのでは。城志郎が小学5年生のときに福岡市へ引っ越してからは、高層マンションの階段を3往復させた」

 剛毅に教えていた内股を城志郎は見て覚えた。吸収力の高さに顕志は可能性を感じ、中学は強豪の桐蔭学園中(横浜市)へ行かせた。しかし、技出しが遅く、敗戦を繰り返す姿に雷を落とした。

■けがに苦しむ

 「『私生活も含めて、おまえには心が足りない、だから心を取れ』と。名前の『志』から心を取り、城士郎にした。大学1年の全日本ジュニア選手権を勝つまでは、心を書かせなかった」

 そんな鬼の顕志も試練が続く息子の境遇に心が折れそうになった。兄を追って桐蔭学園高(横浜市)に進んだ城志郎は、2年時に校則違反をとがめられて自主退学。転校した沖学園高(福岡市)でも実績を残せず、天理大へ。入学直前に膝を大けがすると、大学2年時には左膝前十字靱帯(じんたい)を断裂した。

 「息子には『試練を乗り越えたら絶対良いことがあるから』とハッパを掛けたけど、もう終わったかな、と。さらにリハビリ中に阿部(一二三)君が頭角を現してからは、こいつを走らせたら勢いは止まらないぞと思った」

 復帰した城志郎は2015年の講道館杯で阿部を破ったが、16年の全日本選抜体重別選手権で指導を取られて負けた。息子の甘さを見た顕志は大きな決断を下した。

 「ハートの面で阿部君に追いつくためには、特別な悔しい思いをさせるしかない。『おまえがそこに気付くまで一切連絡しないし、父親とも恩師とも思うな。絶縁だというぐらいの気持ちでやれ』と言い渡した」

 それから約3年半、顕志は連絡を取らず、試合観戦どころか息子が18年秋にくるみさんと結婚したときも会わなかった。結婚を機に一念発起した城志郎は昨年11月のグランドスラム大阪大会から連勝を続け、世界選手権の代表権を獲得。本番約2週間前の8月中旬、親族を介して連絡し、顕志が道場を構える福岡県春日市で再会して4時間近く話し込んだ。

 「小さいころからの思い出話に始まり、私の現役時代の話もした。本人はスーツを着て、言葉の一つ一つに信念があった。良い目をしていた。ひょっとしたら世界一になれると思った。だから3年半ぶりに試合を見に行った」

 午前0時から会場に並び、2階最前列の席を取って見た息子の晴れ舞台。阿部との準決勝で右膝を痛めた瞬間に絶望して持っていたうちわを放り投げたが、城志郎は逆境をはね返して勝利してそのまま優勝した。

 「バルセロナ五輪で膝の大けがを乗り越えて優勝した古賀稔彦を思い出した。当時、彼は選手村で一切歩けなかったけど、諦めずに『先輩大丈夫っすよ』って言っていた。流れがなくなったものをこちらに戻すには、特別なエネルギーが舞い降りてこないと無理。城志郎には執念、3年半も家族に見放されたという思いがあったと思う」

 優勝した直後、2人は写真を撮った。背景は日本武道館。来年の五輪会場でもある。

 「私が城を建てたいと憧れた場所。そこで世界一になり、五輪も戦うのは何の因果なんだろうか。しかも来年城志郎は27歳になる。私がバルセロナに出た年ですよ」

 試練を乗り越え、不運をはねのけた息子にたくましさを感じる顕志。今や誰よりも五輪で金メダルをつかむ運命を確信している。

   ◇    ◇

講道館と同じ“春日”に道場

 顕志は今春、福岡県春日市に道場「泰山学舎」を開いた。かつて宮崎で息子たちを教えた道場と同じ名を付け、女子小学生1人を教えている。「本気で五輪を目指す子だけを受け入れるつもりです」。将来的には念願の“城”である武道館も建てる夢がある。同市を選んだのは「講道館の住所が東京都文京区“春日”だから」というこだわりようだ。

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