上野由岐子と藤田倭 続いた負傷は「必然」監督指摘

西日本スポーツ

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上野由岐子と藤田倭

 東京五輪で日本選手団の先陣を切って登場するソフトボール女子日本代表の宇津木麗華監督は、北京五輪以来となる金メダル獲得の期待を担う中で令和を迎えた。

 生まれ故郷の中国から昭和に来日。選手や指導者として平成を駆けた。一度は五輪から除外された期間の苦しさを知るからこそ、選手には日本代表として五輪で戦う意味や価値を問い続ける。東京五輪を「競技人生の集大成」と言い切る宇津木監督が思いを語った。

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 宇宙で例えるなら、上野由岐子(ビックカメラ高崎)は「太陽」で藤田倭(太陽誘電)は「月」だろうか。上野は言うまでもなく、ソフトボール界の太陽としてさんさんと照らしてきた。彼女がいなかったら北京五輪で金メダルを獲得できなかった。東京五輪も上野の力は欠かせない。藤田は月。太陽が空にないときに輝いてくれる。上野が4月に顎を骨折して日本代表に戻るまでの4カ月間。藤田は日米対抗での完封をはじめ、二枚看板にふさわしい姿を結果で示してくれた。

 復帰した上野と入れ替わるように、藤田が8月末のジャパンカップ前に左ふくらはぎ肉離れで離脱した。東京五輪前最後の米国戦。私は上野と藤田の継投で臨むプランを温めていた。守りから攻撃、攻撃から守りへのリズムは勝利に不可欠。勝ちにいくだけでなく、両主戦と野手陣との呼吸を確かめたかったからだ。

 今年は上野と藤田が代表活動で重なる時期が少ない。これも天の配剤のような気がしてならないし、必然とも受け止めている。上野の骨折は、日本リーグ開幕前の実戦投球が不足していたことも、打球への反応が遅れた要因の一つだと考えている。調整法を見直す契機にしては、と本人に伝えた。「今まで通り(の自分)が本当に良かったのか、気付く時間を神様が与えてくれた」。復帰会見での上野の談話だ。「けがをして良かった」とも口にしていた。逆境をプラスに捉えてレベルアップする強さ。復帰直後の9月上旬のリーグ戦で無安打無得点試合を達成したのには恐れ入った。

 一方の藤田。負傷する前日、私は合宿の練習中に彼女と会話をした。その中で「けがをしない丈夫な体が自分の売りなんです」という言葉が引っ掛かった。12月で29歳。決して若くはない。佐賀女子高から2009年に実業団入りして11年目。「蓄積疲労も起こりうる年齢になってきたんだから、ケアだけはしなさい」と助言した。まさか翌日、本当に体を痛めてしまうとは…。好事魔多しとはこのことだ。ただ、私は慢心とは決して思わない。むしろ、責任感の強さを含めた心身のオーバーワークが招いた、ある種の“サイン”だったのではないだろうか。

 上野と藤田は代表合宿でも宿舎でお互いの部屋を行き来するほど仲が良い。プライベートまで包み隠さずに打ち明けられる姉妹のような間柄でもある。尊敬する上野が戻ってくることを誰よりも待ち望んでいただけに、藤田の心中は察して余りある。ただ、前述の上野の言葉を借りるなら、プレーできない期間こそ「神様から与えられた時間」なのだ。時間は誰にでも平等。己の体、マインドと向き合う貴重な機会をプレゼントされたと受け止めてほしい。上野はさらに強くなって帰ってきた。後ろ向きの思考では何も得られない。

 秋の月光はどこか物静かで、美しい。私が暮らす群馬・高崎の夜空に浮かぶ月を眺めながら、ふとそんなことを考えてみた。

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 宇津木 麗華(うつぎ・れいか)1963年6月1日生まれ。中国・北京市出身。元中国代表。88年来日、95年日本国籍取得。現役時代は内野手で日本代表の主砲、主将として活躍し、シドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダル。2003年に日立&ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の選手兼任監督就任。04年に現役引退後は11年から15年まで代表監督を務め、12、14年の世界選手権優勝。16年11月、再び代表監督就任。群馬女子短大を聴講生として卒業。右投げ左打ち。

 (ソフトボール女子日本代表監督)

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