王さん「早く打たないと」756号を急いでいた理由

西日本スポーツ

トークショーで現役最後、通算868本目の本塁打を放ったときのバットを手にするソフトバンクの王貞治球団会長。左は徳光和夫さん(撮影・伊東昌一郎) 拡大

トークショーで現役最後、通算868本目の本塁打を放ったときのバットを手にするソフトバンクの王貞治球団会長。左は徳光和夫さん(撮影・伊東昌一郎)

花で形どられた「世界新756号」の盾を手にファンに応える巨人の王貞治=1977年9月3日

 福岡ソフトバンクの王貞治球団会長(79)がプロ入りから約60年の白球人生を振り返るトークショーが10月2日、東京都千代田区の「よみうり大手町ホール」で行われた。巨人での現役時代をはじめ「世界の王」の栄光を目に焼き付けてきたフリーアナウンサーの徳光和夫さん(78)を相手に1時間以上、語り尽くした。(第1回/全5回)

 1977年9月3日、巨人・王は通算756本目の本塁打を放ち、米メジャーのハンク・アーロンの記録を抜いて通算本塁打の世界新記録を達成した。

-あの日は狙っていましたか。

 私はホームランを狙って打ったことがないんですよ。ボールをしっかり見て、ボールの芯とバットの芯を結ぶという意識を持っていました。うまく結べればホームランになる、いい当たりができると。このごろ、西武の山川(穂高)選手が「毎打席、ホームランを狙っている」と言っていますけれど、ちょっと私とは違いますね。

-9月3日でしたが、朝から打てそうな予感はありましたか。

 打てそうとかではなく、打たなきゃいけない、という気持ちでした。9月3日って、まだ学校が休みのところもあったみたいで、子どもさんたちが家の前に来ていて…。早く打たないと、この状態がずっと続くと困るなと(笑)。たぶん、あの試合の2、3日前に打って、その後、打っていなかったんですよ。

 夢中でね、ホームランを打ったら、さあ次という感じでやっていましたから。600号ぐらいですかね、ちょっと騒がれたのは。それまでは(節目の一発を)ずっと一気に打っていたから。自分でも区切りだと感じないでやってきました。

 年々、ホームランというのは自分にとって打つのが難しくなるんですよ。体調も変わるし、相手の攻め方も変わる。でも、ホームラン王を続けて取りたいですからね。負けたくないですし、何とかして…という気持ちで。自分が打つことはチームが勝つことに直結していますから。ですから当時、長嶋(茂雄)さんが監督になられて、自分がやらなきゃという気持ちが一番強かったですね。

-新記録達成のとき、ご家族も喜ばれたでしょうね。お母さま(登美さん)は本当によく後楽園球場へ来られていました。

 まだ商売(中華料理店)をやっていましたけれど、店を閉める最後の時間帯ぐらいに抜けて応援に来てくれました。

-応援もすごかったですよ。あんなにお優しいお母さまなのに熱血で「貞治、何で(ストライクを)見逃したんだ!」など、そういう応援をされていましたね。

 あの頃は、そういう熱烈なファンがいましたね。

-でも、お母さんですからね(場内:笑)。

 家でも机をたたいて応援していたと聞いていますよ(笑)。父親(仕福さん)はとにかく野球をやることに反対でした。手に職を持ったら中国に帰るという親父の考えがあった。電気とか機械の技師になって中国に帰って、中国を再建するというか役に立つんだ、という考えで凝り固まっていました。

-たしか、ホームランを打って万歳をしたのは初めてでしたよね。

 そうですね。それまでは兄(鉄城さん)から「打った後は『やった!』とかしてはいけない。相手の投手に悪いから」と言われたことが、常に頭にありましたから。そういうことは一切しなかった。あのときだけは自然と出てしまった。期待が大きかった分「やれやれ」というのが自分の本心でした。

-ホームベースで出迎えた長嶋監督は何とおっしゃたんですか。

 「やったね」でしたね。長嶋さんが一番待ちに待っていてくれたと思うんですよ。長嶋さんと張本(勲)さんが特に喜んでくれた。友情ってありがたいものですね。

-背番号1をつけることになったいきさつを教えていただけますか。

 望んだわけではないんですよ。ちょうど私の前に南村不可止(後に侑広と改名)さんという方がつけておられて、南村さんが辞められて空いていたんですよ。3番が長嶋さん、2番が広岡(達朗)さん…と大学で活躍された方々に続く番号。なぜか、うーんやっぱり、それだけ期待されていたのかなあ、くらいの感覚でした。

 (2につづく)

   ◇   ◇   ◇

 トークショーは、読売新聞東京本社ビル内のギャラリーで11月22日(平日午前10時~午後6時)まで開催される特別巡回展示「王貞治展~栄光の軌跡~」を記念して行われた。ギャラリーでは幼少期から巨人、福岡ダイエー、福岡ソフトバンクの監督時代までを記録したグラフィックパネルや当時のユニホーム、記録達成時の記念バットなどを含む秘蔵品約50点が展示されている。観覧無料。

 なお、福岡市のヤフオクドーム内にあった「王貞治ベースボールミュージアム」は同ドーム敷地内に2020年春、開業予定の商業ビル「E・ZO FUKUOKA」内にリニューアルオープンするため、一時休館となっている。

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