王さん「彼の涙は当然」清原1位が急転、桑田の真相

西日本スポーツ

西武の主砲として活躍した清原和博=1989年7月12日 拡大

西武の主砲として活躍した清原和博=1989年7月12日

 福岡ソフトバンクの王貞治球団会長(79)がプロ入りから約60年の白球人生を振り返るトークショーが10月2日、東京都千代田区の「よみうり大手町ホール」で行われた。巨人での現役時代をはじめ「世界の王」の栄光を目に焼き付けてきたフリーアナウンサーの徳光和夫さん(78)を相手に1時間以上、語り尽くした。(第4回/全5回)

 (3からつづく)

-今年も、もうすぐドラフト会議が開かれます。新人が入ってくるわけですが、いつの時代も入団1年目から活躍するのは大変ですよね。

 肉体的なことを含めて、高校生で1年目からというのはなかなか難しい。清原(和博)君なんかはね、(西武時代に)1年目からすごい活躍をしたので。残念だけれど、彼が普通の人生を歩んでいたら、今でも伝説的に語り継がれるんじゃないかと思います。

-王さんが(巨人の)監督時代、メディアはドラフト会議で巨人が(大阪・PL学園高の)清原選手を1位指名するのではと思っていました。王さんご自身も自宅を出るときまでは清原選手を指名すると思って(くじを)左手で取るか右手で取るか、とまで考えて会場入りしたと聞いていますが。

 それは本当です。球団の方針として「清原1位」だったんです。ところが、会場に着いたら「清原君には7、8チーム来る」という話があった。そこに「1位で指名したら(同じPL学園高の)桑田(真澄)が取れる」という情報が入ってきたんですよね。それだったら、くじで外れる可能性が高い(清原よりも)…。

 それと、当時ジャイアンツは投手が弱かった。それで桑田でいこうということに。そこにおられた正力オーナーもそうしようと、急きょ変わった。ジャイアンツから指名されると思っていた清原君にしたら、青天の霹靂(へきれき)というか。彼がああやって涙を流したのは当然のこと。

-王さんは「苦労して桑田にたどり着いたのだろう」と、スカウトのことも尊重した上で桑田を1位で指名したと伝わっていますよね。無表情のまま一切の弁解もせず。そのことも清原選手は知らず、王さんをしばらくの間恨んでいたと聞いています。そこで私は清原選手に、知り得たことを伝えました。すると「申し訳ないことをしてしまった」と、ビックリした表情になったのを覚えています。引退試合(オリックス時代の2008年10月1日、京セラドーム大阪)で王さん(当時ソフトバンク監督)から花束を渡されたときの、清原選手の涙も印象的でした。

 彼は思いを語っていませんでしたから。ずっと思いを持ち続けていたのだと思います。

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