日本の快進撃支えるSH流 ムネリンの後輩・兄大輔さんが明かす素顔

西日本スポーツ

流大輔さん(左端)の野球塾を訪れた川崎(中央)、流大(右端)=2016年2月、大輔さん提供 拡大

流大輔さん(左端)の野球塾を訪れた川崎(中央)、流大(右端)=2016年2月、大輔さん提供

ラグビーW杯・日本―サモア戦の前半、パスを出す流大=5日、愛知・豊田スタジアム(撮影・中村太一)

 ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会は予選40試合のうち、32試合が終わった。開幕3連勝の日本と同じプールAのスコットランドは9日、ロシアに勝ってボーナスポイントも含め、勝ち点5を積み上げた。現在勝ち点14で1位の日本と同10で3位のスコットランドは13日に横浜市の日産スタジアムで決勝トーナメント進出を懸けて直接対決に臨む。3試合続けて先発出場して日本の快進撃を支えるSH流大(27)=福岡県久留米市出身=は、野球の独立リーグでプレーした兄の奮闘にも刺激をもらい、史上初の8強へ準備を進めている。

 流の兄大輔さん(30)は福岡・祐誠高時代に九州大会に出場した内野手だった。独立リーグ・四国アイランドリーグplusで活躍。2011年に高知で盗塁王に輝くなどソフトバンクをはじめ、プロ野球の球団にも注目されていた。その11年には広島カープの入団テストも受けている。右肘の故障もあり、12年に引退。15年から久留米市に小中学生向けの野球塾を開いている。

 一方、流はラグビーの道を進む。小学生で同市のりんどうヤングラガーズへ。進学した熊本・荒尾(現岱志)高のラグビー部を引っ張り、2年と3年時に全国大会に出場。帝京大、サントリーと強豪チームに進んだ。流が「花園(全国大会)はラグビーの甲子園」と張り合っても、大輔さんは「甲子園と競技人口や競争率が違う」と弟に“負け”を認めなかった。

■帝京大で6連覇 兄が初めて“負け”認めた

 大輔さんが初めてラグビー観戦したのは、流が帝京大主将として大学選手権6連覇に導いた決勝戦。弟がトライを奪い、試合後に胴上げされている姿に心を揺さぶられた。「完全に(自分を)超えられた。ラグビーが大好きになり、弟を応援したくなった」。野球塾の室内練習場をトレーニング用に貸すなど弟をサポートしている。

 一方で、「日本ラグビーの歴史をつくる」と奮闘する弟の頑張りに「アスリート魂」がうずき始めた。そこに新たな刺激が重なる。今春、独立リーグ時代から親交が続く元ソフトバンクの川崎宗則(38)の台湾球界参戦に向けた練習を手伝っていた際に「おまえも(野球を)やれよ」と背中を押された。病気を乗り越えて前に進む「ムネリン」にも勇気をもらい、久留米市を拠点とする硬式の社会人野球チーム「REXパワーズ」に加入。「上(NPB)は無理だが、この経験はこれからの指導に役立つはず」と意気込む。

 「一つのことに突き進む姿勢は尊敬している」。トレーニングウエアを贈るなど流にとって、大輔さんは同じアスリートとして乗り越えたい「壁」の一つだった。兄の存在も励みに運命のスコットランド戦に臨む。

■幼少期「甘えん坊で泣き虫」

 流が「大ちゃん」と呼んで慕う兄大輔さんが弟の素顔を明かした。統率力抜群のリーダーとして隙を見せない言動が印象的だが、「小さい頃は本当に甘えん坊でわがまま。自分の希望が通らないとギャーギャー言って…。負けず嫌いでゲームに負けただけで『お母さん、お母さん』と泣くタイプだった」と笑う。

 流は男3兄弟の末っ子。幼少期はぽっちゃりで目がくりくり。女の子と間違われるくらいだった。小学生時代に始めた野球では兄2人と別のチームへ。ユニホームを一式新品でそろえた頃、その野球チームを辞めると言いだして大輔さんを怒らせた。

 「そこで(野球を)1年もやっていない。すぐレギュラーになったのにラグビーをやってみたくなったらしくて」。流がラグビーを始めた「りんどうヤングラガーズ」の練習は土日のみ。物足りずに入ったサッカーチームでも頭角を現した。午前中はラグビー。午後はラガーシャツのままサッカー大会に出場することもあった。「(チームで)弟の取り合いになっていた」と振り返る。

 大輔さんは、高校入学後に「日本代表になる」と自宅寝室の天井に張り紙をした弟の成長を目の前で見てきた。「ラグビーが弟を変えた。睡眠時間や試合の数日前に何を食べるかを考え、飲み物にも気を使っていた」とひたむきな努力を認める。

 大輔さんは「長男は賢志。弟から六つも離れていて甘えられた。今も弟の新聞記事をチェックしている。連絡は私が窓口。優しい長男あっての弟の活躍だと思います」と3兄弟の絆を強調した。 (大窪正一)

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