突然襲ってきたユニバでの熱中症 九死に一生のランナー鯉川さん提言2 

西日本スポーツ

 暑さ対策で会場が札幌市に移った東京五輪のマラソンと競歩の開催地問題は、マラソンのコースが決定しないなど「2020年」を目前に落ち着かない年の瀬を迎えている。「真のアスリートファースト(選手第一)を考えるきっかけにしてほしい」―。鯉川なつえさん(47)は1995年9月3日、ユニバーシアード福岡大会の女子マラソンでトップを独走しながら、残り3キロでふらふらとなり、コースを逆送したり迷走したりした末に倒れた。高温に加えて高湿度の酷暑が招いた熱中症だった。衝撃的な姿は強い印象を残すとともに、酷暑の怖さを世間に知らしめた。「九死に一生を得た」と24年前を振り返る鯉川さんは、今回の「札幌開催」に至る一連のプロセスをどう受け止めたのか、伺った。 (聞き手・構成=西口憲一)

(1からつづく)

―鯉川さんは現役を引退後、母校の順大に戻り、熱中症を研究。女子陸上部の指導にも当たっている

 私たちの時代は「熱中症」という言葉もありませんでしたし、私もよく知りませんでした。95年のユニバを振り返って思い当たる節があるのは、レース前のアップをスタート地点でもある福岡ドーム(現ヤフオクドーム)の中でやったことです。屋根を閉じて冷房を効かせた快適な環境でした。選手の体力を消耗させないために気を使ってくださったと思いますが…。

 アスリートは汗を出す訓練をしており、温度調節には強いといわれています。セットされている平熱よりも体が熱くなったときに「熱を放散しなさい!」と脳が指令を出します。すると血管が拡張して熱を逃そうとして、そのために汗が出ます。体内から水分が放出されることによって体温が下がるのではなく、水分が蒸発する際に「気化熱」を奪うことによって体温が下がる。皮膚の上にある汗が蒸発するときに「気化熱」を奪うことが大事なんです。もし湿度が高いとうまく蒸発せず「気化熱」も奪えない。汗は出ているけれど、乾燥しないので体温は下がらない。だから湿度が高いのは危険なんです。

―ユニバのスタート時の気象コンディションを教えていただけますか

 気温28・5度、湿度86%です。米国のスポーツ医学会が示している運動指針でも気温と湿度の相関関係が「セーフゾーン(ほぼ安全)」「デンジャーゾーン(厳重警戒。激しい運動は原則中止)」「キャンセルゾーン(運動は原則中止)」と三つのエリアに分類されており、危険の尺度になっています。縦軸が気温で横軸が湿度。よく気温が高いのは駄目と言われますが、30度超の気温であっても湿度が20~30%で、からっとしていれば「セーフゾーン」で運動していいわけです。さっきお話をした「気化熱」を奪えますからね。真夏のヨーロッパでバケーションを楽しめるのは湿度が低いからなんです。

 一方で気温が26度だったとしても湿度が80%以上になると「デンジャーゾーン」になります。私が走った時の気象状況はスタート時点で既に「キャンセルゾーン」だったんです。あの日、空調の効いたドームからスタートして道路に出た時、もわっとした熱気に包まれたのを覚えています。私を含めてランナーは体感の変化を感じ取ったのでしょう。超スローペースでした。途中でスコールみたいな雨が降り、その影響で湿度が92%まで上昇しました。私が棄権したときの気温は28度ですが、湿度は95%。つまりキャンセルゾーンのままずっと走っていたことになります。

―完走率の低さ(男子55%、女子70%)でも表れているように過酷なコンディションだった

 「何なの?このまとわりつくような空気は…」と思いながら走っていたました。このままだとゴールまで3時間ぐらいかかりそうなレース展開でした。「どうする…だれも前に出ないけれど…」と感じる一方で、汗が蒸発しないことが気になっていました。大学を卒業していたので陸上競技の審判免許を持っていたんです。「沿道の観客の人からハンカチやタオルを借りて走ったら失格になるのかな。それは助力(受けることになって失格)になるのかな」と真剣に悩みながら走っていました。トップに立った時、優勝インタビューでそのことを言おうと決めていましたから(笑)。(給水所で手にした)スポンジで体をふこうと思ったんですが、それが〝激落ちくん(ガラスの汚れなどを落とす商品)〟みたいなスポンジで(笑)。これじゃ駄目じゃん、ギュッと絞ってふけない…と。

 あまりにもペースが遅いのでハーフのちょっと手前ぐらいでペースを上げました。「あと半分だったらいけるだろう、と」。走っている感覚としては、暑いだけで、スローすぎて呼吸もきつくなかった。ギアを上げたら、誰も付いて来ない。おかしいな、こんな感じで勝っていいのかな、と。監督やコーチから「後ろと離れているから、もうあんまりペースを上げるなよ」と言われて「はい!」と手を挙げるぐらい余裕もありましたね。30キロぐらいまでは…。覚えているのはそこで給水を取ったところまでなんです。

―高湿度で汗が蒸発できずに体を覆ったため、体温の異常な上昇を招いた

 熱中症は英語で「ヒートストローク」と言います。「ストローク」って打撃ですよね。一撃なんです。じわじわやってくるものじゃないんです。だんだん具合が悪くなって…と思われがちじゃないですか。ふらふらするなど異変を感じたとき、もっと早くやめておけば、と。違うんです。突然来るんですよ。私の場合は意識障害でした。熱中症は軽症、中等症、重症の三つに分類されますが、体力も気力もあるトップアスリートほど自分を追い込めるので、予兆を超えて動いているのかもしれません。走るきつさに症状が隠れてしまい、鍛えられている人ほど、私のようにいきなり重症で現れる。アドレナリンも出ているわけで…。軽症のときにやめとけば、と言われるけれど、それは普通の考え方。めまいとか疲労感、虚脱感とか頭痛など中等度の症状もありませんでした。(2004年アテネ五輪女子マラソン金メダリストの)野口みずきさんも(モスクワで13年8月に開催された世界陸上のマラソンで)熱中症にかかって途中棄権しましたし、昨年行われた実業団の女子駅伝でも脱水症状とみられる症状で倒れ込むなどして途中棄権する事態が起こりました。

―兆候がないことが何とも恐ろしい

 そもそも意識がないので止まろうにも止まれない。今年、あるテレビ番組に出演させていただいた時に自分の映像を見たんですよ。そこで「ああ、これね」と思いました。誰かにストップしてもらわないと、ストップできない状況。「自分で止まればいいじゃない」と思われるかもしれないけれど、あれ、完全に意識が飛んでいます。だから、まったく、あの状況を覚えていないんです。自分が倒れている写真などは見ているんですが、映像を見たのは初めてでした。驚きましたし、勉強になりました。別に今まで避けていたわけではありません。映像がまさか残っているとは思わなかった。ぜひ見られるものなら見せてくださいと、テレビ局の方にお願いしました。

―極めて危険な状況だった

 九死に一生を得た、と自分で思っています。私が運ばれてきた時、居合わせたドクターは私に酸素吸入の処置をしていたそうです。既に多くの棄権した選手が運ばれてきており、外国人のトレーナーやドクターもいたんです。そうしたら、ある外国人のトレーナーが「おい、何をやってるんだ!」と言って慌てて酸素吸入をやめさせたそうです。それから私を氷漬けにして、さらに2、3人のドクターでアイスを鼠径(そけい)部などに当てて手と足を直接マッサージしたと聞きました。場所は医務室のベッド。ドクターが酸素吸入をしたのは、私が苦しそうにしていたからでしょうね。そこには私の母親もいました。「死ぬかもしれない」と呼ばれていたそうです。母親によると、20分ぐらいして、やっと意識が戻ったそうです。でも、寒くて、体が冷えて動かなくなっていました。私が最初に思ったのは「あれっ、何で私は寝ているの?ゴールはしたんだっけな?」でした。母親にゴールをしたかどうか、まず尋ねたそうです。周囲は「そんなこと(ゴール)はどうでもいいんだ」と、命が助かったことにほっとしていたようです。当然ですよね。その後、入院先の先生から送っていただいたカルテには「意識混濁」「脱水症」「熱中症」「右肩打撲」「頭部打撲」と明記されていました。氷漬けで、アイスマッサージを受けた後の体温が、それでも38・1度ありました。喉が渇いたので母に飲料水をもらって飲んだら、それを吐いてしまったんです。先生に怒られました。つまりヒートアップしているエンジンに水をかけたら、ジャーッと蒸発するのと同じことみたいです。5回に分けて計2リットルの点滴を受けました。ユニバでの私の事例は1998年の学会で発表させていただきました。

(3につづく)

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