ソフトバンク2位海野の原点 ひょんなことからアマナンバー1捕手へ

西日本スポーツ

 ソフトバンク2020新人紹介 ドラフト2位・海野隆司(上)

 4年連続日本一を目指すソフトバンクに12人(支配下5人、育成7人)のルーキーが入団した。球団では41年ぶりに外野手の1位となった佐藤直樹をはじめ、支配下選手は社会人、大学生の即戦力候補が4人。1年目の活躍も期待される顔ぶれとなった新人たちの横顔を紹介する。(文中敬称略)

 物心がついたころから、どこへ行くにも兄2人の後ろをついていった。休日のお出かけ先は遊園地でも動物園でもなくグラウンド。2人の兄が通っていた地元岡山の少年ソフトボールチーム「福島下町ソフトボール」に小学1年で入団したのも必然だった。「兄たちの練習や試合を見るのが普通の生活だった」

 1997年7月15日、海野家の第3子として約4400グラムで生まれた三男は隆司と名付けられた。「末っ子だったけどしっかり者。兄2人が出る試合に連れて行っても騒ぐことなく、じっと見入っていた」。父隆行(54)は懐かしそうに振り返る。兄たちとともに、海野は隆行自作の防球ネットとティースタンドを使い毎日練習に明け暮れた。

 ソフトボールを始めた当初は内野手。転機は小学5年のときだ。当時は6年生の捕手が不在。数人を試しても「投手のボールを捕れる選手がいない」となり、海野もやってみることになった。「最初はとにかく怖かった。打者がバットを振ると思わず目をつむってしまっていた」。それでも慣れていくに従いプレーも安定していった。ひょんなきっかけでかぶることになったマスク。それが捕手・海野の原点だった。

 小学校卒業後は硬式ヤングリーグのチームに所属。中学3年間でめきめきと力をつけた。他県の高校から誘いを受けたが、選んだのは岡山の強豪、関西高だった。「地元から甲子園に出たかった」。当時は口に出さなかったがもう一つ、理由があった。「父と同じ学校で、同じように甲子園に出たい」。隆行は82年夏の甲子園に、関西高の捕手として出場していた。

 父が歩んだ道を追い、親子鷹が実現したのは海野が2年の2014年夏だ。「甲子園出場が決まった時は頭が真っ白になった。人生で一番うれしい瞬間だった」。聖地に足を踏み入れると震える思いがした。息子を見守る隆行もそうだった。「隆司が僕と同じキャッチャーになって、同じ甲子園でプレーしている。夢が一つかないました」

 大きな目標を達成した高校3年間を終え、次のステージに選んだのは大学野球。「とにかく強い学校でやってみたい。自分で決めた」。進んだ先は東海大。首都大学リーグの強豪で、海野は大学ナンバーワン捕手へ成長していくことになる。(長浜幸治)

(下)につづく

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