巨人に勝って日本一「野球がますます好きになりそうです。王貞治」

西日本スポーツ

 ダイエー王監督誕生秘話 後編

 令和元年のプロ野球は福岡ソフトバンクが巨人との日本シリーズを制した。3年連続の日本一を達成したた翌日、元球団代表の瀬戸山隆三(66)のもとにメールが届いた。球団会長の王貞治(79)からだった。「巨人に勝っての日本一。念願がかないました。工藤(公康)監督は最高の戦いをしてくれました」―。瀬戸山は王が前身の福岡ダイエー監督だった2000年に巨人に敗れた「ONシリーズ」を知る。歓喜に満ちあふれた文面を読み返しながら、「世界の王」をホークスの監督就任に向けて口説き続けた昔日に思いをはせた。(取材・構成=西口憲一、文中敬称略)

(前編から続く)

 2、3月…と王から色よい返事をもらえなかった一方で、毎月会うことだけは了承してくれた。それが瀬戸山にとって唯一の救いだった。

 瀬戸山 王さんに「今回で最後にしてください。これ以上会っても意味がありませんから」と断られたら、中内功(※)オーナー(故人)に「切腹せえ(辞表を出せ)」と怒声を浴びせられるのはわかっていました(笑)。根本さんからは状況を報告するたびに「ワンちゃんも野球人だ。ユニホームを着たくないわけじゃない。巨人の長男は長嶋なんだから、ワンちゃんは長男にはなれない。どこかで長男になるすべをつくってやらないといかんのだ。会うということは可能性があることだ。とにかく、しつこくいけ」と、激励なのか指令なのかよくわからない言葉をいただいていました。「ホークスの家の長男」という意味では、そのために造ったのが福岡ドーム(現ヤフオクドーム)で、台湾とご縁の深い王さんはアジアに開けた福岡で指揮を執ることこそふさわしい、とも説きました。こんな日がどこまで続くのかな、という思いも正直持っていました。王さんから「イエス」の返答をもらえなければ、1年以内に監督のお話は消滅するだろうと感じていました。

 風向きが変わったのは4月。ようやく雑談もできるような雰囲気となっており、瀬戸山の身構え度合いも減っていた。それでも携帯電話の電源は切っていた。たとえ中内からの電話でも、王との会食の時間だけは絶対に出ないと心に決めていた。そんな中、王の携帯電話のコールが鳴った。王の福岡の友人からだった。

 瀬戸山 王さんは「ああ、○○!今度福岡に行くよ!」と言われていました。電話を切った後に「実は福岡にもちょくちょく行くんですよ」とおっしゃったんです。「世界少年野球推進財団(WCBF)の仕事で福岡に行くことがあって、知人や友達もたくさんいるんですよ。九州は好きなんです」とフランクに教えてくださいました。「ただ、監督となると話は別ですが」と最後は言葉を濁していましたが、私は内心「なんだかんだいっても福岡と全く縁がないわけではないんだな」と感じました。5月には「私も野球人なのでユニホームを着たくないわけではありません」と、はっきり口にされたんです。新たな局面が開けた気がしました。

 当初の「自由人」から「野球人」への転換に、瀬戸山は王の心の微妙な変化を感じ取った。

 瀬戸山 6月に入ると、ニュアンスがさらに変わりました。「実はいくつか(の球団から)お声は頂いていますが、やるなら思い切って真反対のところでやるのが自分にとってもいいですし、野球界も盛り上がるのではないでしょうか」と言及されたんです。私は、もうはやる気持ちを抑えきれませんでした。「王さん、そこまでおっしゃっていただけるのなら次回はこういう形ではなく、ぜひ中内と会ってください。中内を連れてきます」とお願いしました。それで、その場はいったん別れたんですが、やっぱり本音かどうかわからない。お酒の影響で口が滑ったのかもしれないし…。だから、心配で王さんには電話で2~3回確認しました。よくあるじゃないですか。オーナーに直接会って丁重にお断りするパターンとかも。王さんはそういう方じゃないと思っていましたが…。「もしも、の場合は事前におっしゃってくださいね」と念を押しました。「中内と会ってくださるということはお引き受けいただけるということですよね」「本当に中内を呼びますよ」と何度も尋ねました。すると、王さんは割と簡単に「いいですよ、よろしくお願いします」と。その一言で私の肩の荷がすーっと下りました。

 王の内諾を得た上で、夏前に東京・銀座の料亭で中内、その息子でオーナー代行の正、根本を交えた昼食会が開かれ、ホークスのユニホームに袖を通すことが決まった。95年から指揮を執った王を瀬戸山はフロントとして支えた。いろんなことがあった。最下位に沈んだ96年はファンから生卵を投げつけられた。99年には根本が帰らぬ人となった。翌2000年、根本が待ち望み、ついに実現した「ONシリーズ」では東京ドームで終戦。長嶋巨人に敗れた悔しさに加え、都内の選手宿舎で当時のフロント陣からねぎらいの言葉が一切なかったことに王が怒りを爆発させた。「野球チームは野球が一番大事じゃないのか!」。深夜のホテルのバーラウンジでユニホーム姿のまま、大きな目に浮かべた悔し涙を瀬戸山は忘れない。あれから19年、監督就任要請からは25年の年月がたった。

 瀬戸山 自分が出た家との一騎打ちになったわけじゃないですか。メールの「巨人に勝っての日本一」には「やっとホークスに恩返しできた。ホークスの長男になれた」との心情が込められている。それがすべて表れたのが祝勝会での「時よ止まれ!」だったんですよ、きっと。実はメールの締めくくりも王さんらしいというか、ほほ笑ましいんです。「野球がますます好きになりそうです。王貞治」でした。根本さんからの特命でああいう仕事を仰せつかって…。やっている間は寿命が縮まる思いでしたが、今となってはすてきな思い出です。私はもうホークスの人間ではありませんし、球界とも関係がない人間です。あえて一つだけ言わせていただけるのなら、王さんは野球界の宝。だから、永遠の野球人でいてほしいんです。あの方ほど野球を愛していらっしゃる方を、私はほかに知りません。

※中内氏の名前の「功」は右側が「刀」

PR

福岡ソフトバンクホークス アクセスランキング

PR

注目のテーマ