城島氏、ホークス復帰した自分に思う「給料にしてはコスパ良すぎる」
2020年春季キャンプ企画「キーマンに聞く」第1弾として、15年ぶりに福岡ソフトバンクへ復帰した城島健司会長付特別アドバイザー(43)が西日本スポーツのインタビューに応じた。現役時代は万年Bクラスだったホークスが、常勝軍団へ変わる過程を経験。当時を知る者に課せられた使命に言及し、五輪野球日本代表経験者として、東京五輪を戦う上でのポイントも示した。(全3回の3)
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-米大リーグも経験した。球団を強くするには現場だけではくフロントの力が重要だ。
「持論はありますけどね。それは別にして、ホークスの良さで言うと、現場からフロントまでの風通しがいい。なぜかと言うと王さんがいるから。現場を一番理解しているレジェンドが、会長という立場でフロントにいるから、球団がうまくいっている」
-王会長の存在は大きい。
「王さんだって人間だから50年後、60年後まで生きていない…いや、生きてそうですけど(笑)。さっきもそんな話になって、王さんに『死なないでしょ』って言ったら『俺は運がいいんだ』って」
-別府大付(現・明豊)高から入団した1995年、王会長がダイエーホークスの監督になった。
「今年80歳ですからね。いつかそこに王さんがいなくなって、その考えを知っている人がいなくなったら、今後は続かない。そういうことに対して手助けができればと思っています」
-選手が愛され、チームが愛される。強いチームであり続けることにもつながる。
「それに尽きると思います。魅力的な選手が、魅力的なチームをね。自分たちがホークスでやっていた時、初優勝が1999年。それまでずっとBクラス。その後何度か優勝してね」
-優勝を義務づけられたチームに成長した。
「勝つのが当たり前のチームとしてプレッシャーはある。一方で、選手を入れ替えできないひずみも、いずれ必ず来る。ホークスはあのドームの満員の観客の中、ホームタウンの地の利が如実に出たチーム。遠征でうまくいかなくても、福岡に戻れば何とかなるんだと思って戦った。その地の利はファンがつくる力。メディアの人がつくる力でもある」
-2003年、阪神との日本シリーズはホームで2連勝した後、甲子園で3連敗して福岡に戻った。博多駅で出迎えたファンの声援や、スタンドの声援はすごかった。
「福岡では、あれだけ人が入ってあれだけ応援してくれる。この幸せを続けていかないと。それはただ勝つだけではできない」
-地元紙としての役割がある。
「西スポに頑張ってもらわないといけない。厳しく言ってほしいケースもあるし、手助けしてもらわないといけないケースもある。1面に載るんですか、このインタビュー? こないだ、王会長に叱られただけでスポーツ紙の1面でしたよ。三笠(ゼネラルマネジャー)さんにも言ったんだけど、今回、球団から頂く給料にしては、コスパが良すぎると思います」
-釣りとの関わりは変わらない。
「そうですね。自分はあくまでもRKBで毎週日曜朝、6時15分から絶賛放送中の『J的な釣りテレビ』の仕事もありますし(笑)」
(キャンプ地を訪れた元ソフトバンクの摂津正氏が通りがかるのを見かけて)
「でもどうですか、後釜を狙っている人がそこにいますよ(笑)。『J的な釣りテレビ』が終わったら、すぐ摂津の釣り番組が始まるでしょうね。他局で」
-摂津氏はすでにRKB毎日放送のラジオで釣り番組を持っている。
「ほぼほぼ、うちの番組とかぶってますからね(笑)」
-釣り番組の視聴者は、城島アドバイザーの次のステップが心配なのでは。
「次のイメージは全く想定できない。1年後のことは全く分かりません」
(おわり)
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◆城島健司(じょうじま・けんじ)1976年6月8日生まれ。長崎県佐世保市出身。大分・別府大付(現明豊)高からドラフト1位で95年に福岡ダイエー(現福岡ソフトバンク)入団。2003年にMVPに輝くなど強打の捕手として3度のリーグ優勝、2度の日本一に貢献した。6年に米メジャー移籍し、マリナーズでプレー。10年に阪神で日本球界復帰、12年に引退した。日本代表では4年アテネ五輪で銅メダル、9年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で優勝。今年1月1日付で福岡ソフトバンクの球団会長付特別アドバイザーに就任した。引退時の身長182センチ、体重94キロ。右投げ右打ち。




















